「はぁ……はぁ……」

 冷たい風が肌を刺す、夜の森を一人の少女が走っている。少女は、目深にフードをかぶっており、表情を伺う事はできないが、その口からは絶えず荒い息を吐き続けていた。少し小柄な体型から、まだ幼い少女のように見える。

 休むことなく必死で走り続けて少女は、ついにその方膝を地面についた。

「おね……ちゃん、たすけてよぉ……」

 たまらず声を出すが、記憶の中で自分に微笑みかけるその女性はすでにこの世にはいない――

 小さな風が吹き、少女の顔を隠していたフードがまくれ、少女の肌と髪が露わになった。フードに隠されて見えなかった肌はまるで雪のように白く、恐怖に震える瞳は空を絵に描いたような青く澄んだ光を放っていた。

 そんな少女の背後から、小さな足音と共に男の声が聞こえてきた。

「おにごっこは終わりだ……」

 その声に少女は、おずおずと振り向きその声の主を見た。その声の主は、淡い月の光に照らされた顔を布で隠しており、その表情をうかがい知る事すらも出来なかった。

「諦めろ――我らの行動を見てしまった以上生かしておくわけにはいかない――」

 男の両腕で、いつの間にか握られていたカタールが鈍い光を放つ……

「いや……たすけて…おねえちゃん」

「……さらばだ」

 風よりも速く、男は少女の胸元へと飛びかかった。それに対し、少女は男から逃れようと必死になってその体勢を変えようとするが、恐怖で足がすくんでしまっており動く事ができない。その状態で無理に立とうとしたせいで、その場にうつむけに倒れこんでしまった。その背に、男は容赦なくそのカタールを落とす――

「いや……っ、いやぁぁああ――っ!」

 少女の声は、夜の森に木霊した……

 しかし……その声は誰かの耳に届くことなく夜の闇にのまれて消えていった――

 

 

 

「完璧に迷子だな……」

 手元の地図と周囲の風景とを見比べながら、ウィザードの飛鳥はぽつりとこぼした。漆黒の髪に、同じように黒い瞳。二十歳になるかならないかの若い男で、体はウィザードを表すマントを羽織っている。

「――やはり、さっきの道は右に向かうべきだったんじゃないのか?」

 呆然と地図と周囲とを見比べてる飛鳥に、今度は隣にいた赤毛のプリースト、柚葉がすこし呆れた表情で問う。こちらも二十歳になるかならないかくらいの若い男で、顔には小さな眼鏡をかけている。胸に輝くロザリオには、本人曰く“堕天の証”である刃物でつけたような横一文字の傷がついている。

「んだよ……ゆずだって最後にはこっちでいいって言ったんじゃないかぁ……」

「それは君が絶対にこっちだと言って聞かないからだろう?」

「うがぁぁああ、うるさーい。そんなこと言ったってしかたないだろっ」

 責任を自分ひとりに押し付けられたような気分になった飛鳥は、ぐちぐちと愚痴る。それを冷静に切り返す柚葉に、ある種逆切れのような状態になりながら反論をする。まるで子供の喧嘩のような状況である。

 ――ここは、ルーンミッドガルド大陸の首都プロンテラを北へと向かった森の中。プロンテラを北へと進路をとった柚葉と飛鳥は、一路アルデバランを目指していた。が……迷子になってしまったのである。

 

「あ―…日が落ちてきたなぁ、完全に落ちちゃう前にここらで焚き火の準備をしようぜ」

「そうだな、ここなら周囲もある程度は見える。ここを今夜の寝床にしよう」

 うっすらと暗くなってきた空を見つめながら呟いた飛鳥に、柚葉はコクリと頷いてから薪になりそうな木の枝を集め始めた。

 枝がある程度集まってきたところでそれを束ねて火をくべる。なんとも慣れた手つきで、飛鳥は夜営の準備を早々に終わらせた。その手つきを、柚葉は感心しながらみつめていた。

「で……俺は、この旅の正確な目的を聞いていないんだが?なぜアルデバランを目指す」

 作業が終わったのを見届けてから、柚葉が口を開いた。

「ん?あ―…まだ言ってなかったな。んと、時計塔に用事があるんだよ」

「時計塔?」

「うん」

 アルデバランの時計塔……それは、都市アルデバランの中心に聳え立つ非常に強力な魔物が生息する塔で、腕自慢の冒険者達が好んで向かう高等ダンジョンである。また、アコライト時代の柚葉が、マジシャンであった飛鳥と二人で修練に励んだダンジョンでもあった。

「そこにな――、どうかしたか?」

 説明をしようとしていた飛鳥であったが、さっきまでと明らかに様子の違う柚葉にその口を閉じて尋ねた。

「いるな……。飛鳥、かまえろ。くるぞ――」

 柚葉がそう言い放った瞬間、周囲にものすごい物音が立った。

 



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