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暗がりの闇の中、少女は立っていた。
周囲の存在が確認できぬほどの暗闇の中でさえ、その少女の周りだけが隔離されているかのようにその存在感は大きく、異質な空気を放っていた。
純白の雪のように白い肌、サファイヤのような少し大きめの碧眼、曇りのない青空のように澄んだ長い髪を胸の辺りで纏めたそのいでたちは、まるで物語に出てくるお姫様のよう。
だが、一つだけ違っているとするならばその瞳である。
その瞳はどこか憂いを秘めているようで、虚ろに輝く“ソレ”はまるで焦点が合っていない。
少女の纏っている装束は純白の聖職衣であり、一見して少女が神に仕える聖職者アコライトであることがわかる。
面妖なことである……。
ここは、ルーンミッドガルドの首都・プロンテラの中であるとはいえ、通りを外れた裏通りであり、そのような場所に幼きアコライトが来るなどということはまずありえないことだからだ。
その少女を、少しはなれたところから見つめる女性の姿があった。少女と同じ聖職衣を纏っているが、形が異なり青を基調としているその服は、アコライトよりも高位の聖職者であるプリーストの証だ。
プリーストの女性、ノエルは、その少女の姿を見て言葉を失ってしまっていた。
まるで作り物のように幻想的な姿から、目を離すことが出来ない。
「……」
少女の口が、何かを喋ったような気がした。
だが、その声はノエルには届かず、聞き返そうにも少女は即座に踵を返し、その場を後にした。
その姿を目で追うように、ただただノエルは見つめることしか出来ないでいた。
次の日、また同じようにノエルはその場所へと向かった。
何故か、その少女のことが気になって仕方がなかったのだ。
果たして、先日と同じ場所に少女の姿はあった。同じように虚ろな瞳で世界を見つめるかのように、その場に立っている。
「君は……何をしているの?」
そんな言葉が、ノエルの口をついて出た。
「何……とは?」
一瞬、少女の表情が動いたような気がした。それは、見間違いだったのかもしれない。だが、ノエルには泣いているように見えたのだ。
初めて聞いた声に、戸惑いながらもノエルは繰り返す。
「昨日もそこに立ってたから。どうしてなのかなって思ったんだよ」
自分でも驚くほど幼い口調で喋るノエルを、少女は射抜くような視線で見つめ続けている。その視線から出来る限り目を逸らさぬようまっすぐ向き合う。だが、先日と同じようにその瞳で見つめられるだけでノエルは動きを失ってしまっていた。
「アコライトがこんなところにいてはいけないと――怒りますか?」
その視線を先に外したのは意外にも少女の方であった。
口元に皮肉じみた笑みを浮かべたまま、少女は続ける。
「私のようなアコライトは、こんなところにいてはいけませんか?」
「いけないなんて言ってない」
「では、何と仰いますか?」
その瞳が痛々しくて、ノエルはそれ以上何もいえないでいた。
しばらくして、少女は先日と同じくその場を離れた。
いや、離れようとした。
「待って」
振り返り歩き出した少女の腕を、ノエルが掴んだ。
自分でも何故そのような事をしたのか分からぬまま、ただただ、少女の腕を掴んでいた。
「……」
「お願い……待って」
わけが分からないといった表情で自分を睨み付ける少女を、ノエルはまるですがるような目で見つめる。
自分が何をしたいのか、どうしたいのか、どうしてほしいのか、そんな答えの出ない自問自答を繰り返しながら、少女の腕を掴む。
「なんなんですか」
ついに少女は、声を荒げ抗議した。その顔に初めて表情が浮かび上がる。
「そんな顔もできるんだね」
そんなことを言いながら、ノエルは微笑を浮かべる。それが気に入らないのか、少女はさらに声を荒げた。
「触らないで!」
少女の手がノエルの腕を掴み、無理やり引き剥がそうとするも両手でしがみついているので簡単には放れない。
どれだけそうしていただろう、放せ放さぬの押し問答を繰り返し、とうとう疲れたか少女はその場に座り込んだ。
「なんなんですか……あなたは」
少女がまるで子猫のような表情になる。
はじめ見たとき、というよりも、つい先ほどまで人形のようだった少女が、実に人間らしい表情をすることに驚きつつも、ノエルは優しく微笑む。
「アコライトでしょ、君」
「だったらなんだって言うんですか」
「なんでこんなところにいるの?」
「いいじゃないですか、どこにいたって勝手でしょう?」
「でも、気になるんだからしかたないじゃない」
まるで子供同士の口喧嘩である。
それでも、自分の言葉に反発してくる少女が嬉しくて、ノエルはもっと少女のいろいろな表情を見たいとさえ思ってしまった。
「ねぇ、教会に行こうよ。名前も教えて」
「……」
「ぁ、言ってなかったね。うちの名前はノエル。聖職者の中じゃ、結構有名なんだよ?」
「……」
「だまらないでよ、寂しいじゃない」
呆れたのか、はたまた諦めたのか、少女は今にも泣きそうな目をしながら聞き入る形となった。
それがおかしくて、つい……ノエルは少女を抱きしめてしまった。
「わぷっ」
少女の口から驚きの声があがる。だが、まったく気にしないといった感じで、少女を抱きしめる手に力を込める。
「ね、一緒に行こうよ」
「なんで……」
「行き場所があっても、関係ないからね。うちは連れてくから。恨むなら自分の職業を恨みなさい」
「な……っ!」
「うち、聖職者の中ではかなり偉いんだからね。命令です!」
笑いながら命令などという言葉を口にする。その言葉に、少女の方はさらに悲しそうな表情になった。
「私は……」
「え?」
「私は好きで聖職者になったんじゃない!」
それは……悲痛な叫びだった。
見ると、少女の瞳には大粒の涙が浮かんでいる。
「なんで……なんでさ……」
すぐにそれは瞳からあふれ出し、頬を伝い地面をぬらしていく。
その涙に、ノエルは腕に入れていた力をゆっくりと抜いていった――
「君は……まさか……」
そこにきて初めて、少女の秘密に気づいたような気がした。
改めてみれば、その髪も目も肌も……先代の巫女にあまりにもよく似ていた。
天癒の巫女――その体の内に、神をも超えるといわれるほどの癒しの力をもった家系。その力は絶大であり、世界を救うことも、逆に滅ぼすことも出来るとさえ言われているほどだ。
だが、それゆえにその家系に生まれたものは生来聖職者になることを責務とされている。そこに意思も自由も存在しない。
「君は……雪音さん……なの?」
少女、雪音は……静かに頷いた――