暗闇の中……二つの影が、プロンテラの裏通りを進んでいる。

「まさか……そんなことがあったなんてね」

 少女が虚ろな瞳で誰にともなく呟く。

「柚葉さんも……言うべきか悩んだ末のことだったのかもね」

 それに習い、隣を歩く女性が答える。

「郷華さんは……」

 暗がりに呆然とする少女……郷華に女性が何かを言いかけたとき、郷華が突然声を上げた。

「カッチェ?あれ……ひょっとして人?」

 郷華の示す方に向き直ると、そこには倒れこむ人影のようなものがあった。集中して目を凝らす。たしかにそれは、人だった――

「怪我してる?大変!」

 その言葉を言い終わるか終わらぬかのうちに、郷華はその人影に向かって走っていた。

 近付いて見れば、その人影は一人の少女だった。鋭利な刃物で切りつけられているようで、体中に真っ赤な血を纏っている。

「息……息がまだある!生きてる!」

 困惑の表情で見つめているだけになってしまったカッチェに対し、睨みつけるような瞳で郷華が抗議する。

「え……あ、はい!」

 そこでようやく我に返ったか、カッチェは治癒の魔法を倒れる少女に唱えた。

 柔らかい光が少女を包み、次第にその傷が消えていく……

「ん……うぅ……」

 少女の口から、嗚咽にも似た声が漏れる。それを聞いて、生きていることを再確認する。だが、その声はあまりにも弱々しく……今にも消え入りそうだ。

 だが――

「ゆずは……さん」

 少女の口から漏れた言葉は、郷華たちの予想だにしないものだった――

 

 

 

「月夜花……」

 静かに口から漏れた言葉は、ただ絶望を表しているというものでもなかった。だが、柚葉の表情は未だ暗い。

「俺達が行くのか?」

「あぁ……来てほしい」

 諭すような口調で語りかけるも、翼の声などまるで届いていないかのようだった。

「俺は、教会を追放された身です。その俺が教会のために働くと言うのも無理な話でしょう?」

 まるで突き放すように、淡々と語る。

「ゆず……」

「ノエル様、俺は……」

 そんな柚葉を、ノエルは悲しそうに見つめることしかできないでいた。

 柚葉にとって、ノエルや翼は特別な存在だった。雪音を失った自分にとって、心の寄り処であり、信頼し尊敬できる存在だったからだ。

 それでも、今の自分にはそれを受け入れることはできない――

「俺には、出来ません……」

 言い終わると共に、柚葉は身を翻し歩きだした。それを追いかけるように飛鳥と雪乃が走り出した。

 後に残された者達は、小さくため息をついた。

「……」

 長い沈黙を破り、ノエルが小さく声を上げた。

「翼、どうしてもゆずじゃなきゃだめなんだよね?」

「……すでに、フェイヨンに向かって騎士団から多くの兵が向かったのですが……その全てが月夜花の前に散っています――。理由はわかりませんが、此度の覚醒は時が早かっただけでなく、その能力までもが平素とは比べ物にならぬほどと聞いています」

「……そう」

 フェイヨンからの遣いとしてプロンテラを訪れたクルセイダーの青年により、討伐隊が指揮され数度に渡ってフェイヨン地下寺院への突入が試みられていた。

 それでも、格段に強化されている月夜花を倒すことは出来なかった。

 だからこそ、柚葉という希望が欲しかったのだ……

「時は一刻を争います……柚葉を置いて私だけでも向かうしかないでしょうか」

 いまにも泣き出しそうな声で……翼が小さく呟く。

「……うちに、任せてみない?」

 しばらくの沈黙の後、ノエルが微笑みを浮かべながら言う。

「うちが、ゆずと話してみるよ」

「……よろしくお願いします」

 悲しいかな、もはや翼にはノエルに任せるほかに方法がなかった――

 

「……すまない、少し一人にしてもらえないか?」

 教会を出て、終始無言だった柚葉が不意に言った。その言葉に、二人は頷き「宿屋に向かう」とだけ言い残してその場を離れた。

「……」

 その後姿を目で追いながら、柚葉は小さくため息をついた。

 気がつけば、すでに太陽は沈みかけている。朝からいろいろとあったせいか、食事もまともにとることなくこんな時間になってしまった。

 辺りを見回すと、夕暮れ時とはいえ未だプロンテラのメインストリートは人で埋め尽くされている。そんな中にいると、あたかも自分だけが浮いているのではないかとさえ思ってしまうのだ。

「……姉さん」

 返事のない言葉を何度口にしただろう……

 いつまでも変われない自分が疎ましくて、嫌だった。

 それでも、以前よりは自分を好きになれた気もする。おかしな話である。

 そんなことを思っていると、自然と口元に笑みがこぼれる。

「ゆず」

 呼び止められて振り返ると、そこにはノエルの姿があった。

 その手にはリンゴが二つ持たれていて、そのうちの一つを柚葉に差し出してきた。

「食べよ。朝から何も食べてないでしょう?」

 リンゴを受け取り、かじりつく。口元に果物の甘みとみずみずしさが広がる。

「さすがにここじゃ、お話なんてできないね。ちょっとあっちにいこう?」

 言われるがままに、ノエルについていく。そこは、メインストリートを一本それた位置にある少し開けた場所だった。

「うん、ここがいいね」

「……」

「んーこの時間は、風が気持ちいいね」

 やけに明るいノエルに、柚葉は何から言えばいいのかわからず、ただただそれを見つめるだけだった。

「ここはね、うちと雪音が初めて会った所なんだよ」

「え……?」

 突然のノエルの言葉に、驚きの声を上げた。見ると、先ほどまで明るく微笑んでいたノエルが、目元に小さな涙を乗せていた。

「ここで……誰も信じないといった瞳で、私を睨み付けたアコライト……それが、雪音だった」

「信じない……?」

「そう、少し前のゆずみたいにね」

 ポツリポツリと……まるで、舞い落ちる雪のように――

 ノエルは話し始めた、幼き少女の話を……



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