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「うちが……こいつ殺せば終わりなんでしょ?」
華蓮の言葉が、辺りに静かに響く。
その言葉に、二人の男はあからさまに皮肉じみた笑みを浮かべた。
「そうだな。ソイツを殺せばお前はディスタンスに帰れる」
返された言葉に、華蓮はそっと頷いた。
そして、ゆっくりと……こちらに向かって歩き出す。その表情に迷いはない。
こう言えば語弊があるかもしれないが、俺はこれから殺されるかもしれないというにもかかわらず、はっきりとした口調で喋り、まっすぐ自分を見つめている華蓮が嬉しかった。
それは、あの惨劇を彼女が乗り越えられたということでは無いにせよ、今此のときはそれを忘れられていると思えたからだ。
「柚葉……ごめん」
今まで聞いたことのないほど優しい声で……華蓮が呟く。それに、俺は優しく微笑んだ。
「……っ!」
一瞬、何が起こったのか分からなかった……
まるで、嵐でも起きたかのように、凄まじい風が吹いたかと思うと、その場にいた二人の男が真っ赤な血飛沫をあげて倒れ込んだ。
その中心に立つ少女は、体に大量の血糊をつけて呆然とした表情で立ちすくんでいる。
「……華蓮?」
俺は、何が起こったのかすら判断出来ぬまま……少女の名を呼ぶことしか出来ないでいた。
「柚葉……うち……」
「……うん」
か細く、消え入りそうな声で必死に何かを伝えようとする少女に、俺はゆっくりと近づいた。
――いや、近づこうとした。
華蓮に向かい歩こうとした俺は、物凄い力で引き離された。
「……っ!」
口から、嗚咽にも似た声が漏れる。頭の中が真っ白になり、何も考えることが出来ない。
「さすがはこの私が手塩にかけて育て上げたアサシンだな――」
まるで、闇の中から聞こえて来るかのような声が周辺を満たし、俺と華蓮との間に一人の男が現れた。
現れた……というのはおかしな発言であるが、まるでその場に沸き出て来たかのように、突然現れたのだ――
「ディスタンスのエンブレムを掲げる者を、一瞬で二人も殺すとは……な」
「静葉……様」
その姿を認め、華蓮は全身をカタカタと振るわせ始めた。
「華蓮……逃げれると思っていたのか?この二人を殺したあと、ディスタンスから」
「……」
「逃げ切ることなど……不可能だ」
小刻みに震える少女に追い討ちをかけるかのように、男が続ける。
「何故……裏切った」
「……守りたいから!」
男の質問に短く返し、目にも止まらぬ速度で華蓮が動いた。一瞬で男の目前まで迫り、刃を薙ぐ。
だが、その刃は虚しく空を切った。
目にも止まらぬ速度で動く華蓮の、さらに上をいく速度で男はその背後に回り込んだ。
「くはっ」
首に手刀を落とされ、華蓮は力なくその場に倒れ伏した。
それを機械的な……冷酷瞳で見下ろしてから、男はこちらに向き直った。
「名前を聞いて……まさかとは思っていたのだがな――」
男が、ゆっくりと呟く。「まぁ……今は関係の無いこと」
凄まじい速度で、男は俺の眼前まで迫ってきた。
その直後に振られた刃を、なんとか身をねじって避け距離を開けようとする。だが、速度の差が大きすぎて満足に動くことも出来ない。
「くっ……!」
次第に、身体に傷が増えていく。なんとか大きな一撃は防いでいるが、攻撃の全てを防ぎきることはできない。
じりじりと、確実に追い詰められていく。
一瞬でも気を抜けば、その瞬間俺の首は宙を舞うだろう。
その時、俺と男との間に華蓮が割り込んだ。
「ほう……もう目をさましたか」
「貴方の……教えのお陰です」
互いに二本の刃、計四本の刃が煌めき、激しい金属音が鳴り響く。
俺は、そこから数ほ後退し、華蓮に補助の魔法を唱える。
だが、それでも二人の差は明確だった。
「そこだっ」
華蓮の一瞬の隙をついて、その足を裂いた。
真っ赤な鮮血が弧を描き、華蓮はその場に倒れ込む。
急いで治癒魔法を唱え、傷を癒そうとするが……完全に癒すには時間がかかる。
そんな時間を相手が待ってくれるはずもなく、華蓮の胸に男の刃が突きつけられた。
そこで、少女は……力無く倒れた。
その後、一度ビクリと動いたかと思うと、それ以降はピクリとも動こうとしなかった……
「か……れん……?」
もはや完全に動きを止めた少女の名を呼ぶ。だが、その声に返事が返って来るはずもなかった。
ゆっくりと……男が動き、俺の体に大量の血糊を浴びせた。
「私の任務はここまで……お前を殺すことはその内ではない――」
華蓮の血で真っ赤に染まった俺に、男は呟き……その姿を消した。
頭の中が真っ白になって、何も考えることが出来ない……
そうしている間に、一人のアコライトの少年がその場に来てしまった。
少年は、驚愕の表情でその場を離れると、すぐに大人の聖職者達を連れて再び現れた。
そして……その中には、翼の姿があった――
「ゆず……これはどういうことだ……?」
いつの間にか、俺の手には先ほどの男が使っていたと思われる短剣が握らされていた。
その姿を見た翼が、静かに聞く……その口調はいつものような冷静さはない。
「君が……華煉や、そこの者達を殺したのかい?」
「いや……僕は……」
「落ち着いて、何があった?」
優しく、諭すような口調で……翼が聞いてくる。
だが……
「そうだ……俺がやったんだ――」
気がつくと、俺は嘘をついていた……
「華煉も……こいつらも、俺が殺した」
「ゆず……?」
翼の、周囲の聖職者達の顔が驚愕に歪む。
「俺がやったんだよ、翼……だからさ――」
そう……俺は、ずっとこうなることを望んでたんだ――
「俺を……死刑にしてくれ――」
死ぬことを望んでいたんだ……
だから、利用しようとした。人の死すらも――
きっと、それを華煉は望まなかっただろうけど。
それでも、俺にはそうする他にないようにさえ思えたんだ。
姉さんもいない、そして華煉すらもいなくなってしまった世界に……生きていたくはなかったから――
だから……俺を……死刑にしてほしかったんだ……