眠れない夜が明け、再び騒がしい朝が訪れた。

 教会の朝は早い。次々に訪れてくる参拝者や、書類を運んでくる聖職者達。それらに声をかけながら書類に目を通す。だが、全く集中など出来ないでいた。

「僕を……か」

 つい、そんな言葉が口をついて出てしまった。それに対して、近くにいたアコライトの少年が怪訝そうな表情になった。

 それをなんとか修正したものの、昨日クラークに言われた言葉が頭から離れない。

 そうなると人というのは不思議なもので、頭から離れない存在に会いたくなってしまうものだ。

 その時の俺は、すぐにでも華蓮に会いたいと思ってしまった。

 なんとか作業に見切りをつけ、俺は自室へと向かった。自室の近くまで来ると、ちょうど俺の自室から出てくるノエルと対面する形となった。

「あれ?ゆず、どうしたの?」

 いかにも驚いたといった表情で、ノエルが尋ねる。

「仕事が一段落したので、華蓮に会いに……。少しずつでも、人に慣れて欲しいので

 それを軽く返して、俺は自室の扉を開いた。

 果たしてそこで俺が目にした光景は、まるで予想しなかったものだった――

 

 まるで清んだ空のような青い髪、透き通るような白い肌、サファイアを二つ落としたような瞳。美しい純白の衣服を身に纏ったその姿は、まるでギリシャ神話に出てくる女神のよう。

 その全てが美しく、かつ幻想的で、俺はただただ見惚れてしまっていた。

 

「どう?かわいいでしょう?」

 俺が動けないでいると、ノエルが後ろから声をかけてきた。

「覚えて……無いかな?この服」

 服について言われ、もう一度様変わりした少女――華蓮をよく見る。確かに、その服には見覚えがあった。

「これ……姉さんの……」

「そう、雪音の服だよ」

 優しく……ノエルが諭すような口調で語る。

「ぅ……あぅ……」

 俺の瞳から、大粒の涙が落ちる。

「僕は……僕は……っ!」

周囲にかまうことなく、声を上げて泣き出した俺を、優しく抱きしめてくれた腕が温かくて、俺はただただ……泣き続けた。

「ゆず……は」

 そこで、小さな声が……耳に届いた。声のした方を振り向く。そこには、頬をぬらす華煉の姿があった――

「いたい……?」

 その指が、ゆっくりと……俺の頬に当てられる。ゆっくり……恐る恐るその指に手を添えると、少女は困ったように頬を赤らめた。

「僕のために……君は……」

 とめどなく流れる涙が暖かくて、俺はただただ……少女を見つめ続けていた。

 

 どれぐらいの間そうしていたのだろう……時間にすれば、ほんの少しの間だったのかもしれない。だが、俺にはひどく長い時間に感じられた。

「ゆず……は……」

 困ったように微笑む少女に気がついて、俺は我に帰った。

「笑えて……いるの……?」

 いままで、人が近づくだけで泣き叫び、暴れていた少女が、確かに今……目の前で微笑んでいる。

 それが嬉しくて、俺は少女に抱きついてしまった……

「ひゃぅ」

 少女の口から驚きの声が上がり、ビクリとその体が動く。それを優しく……できる限り優しく抱きしめて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「僕が……守るから……」

「ぅ……?」

「ディスタンスからも……教会からも……必ず僕がキミを守るから――」

 ディスタンスという言葉に、少し反応したようで……体が一瞬震えたが、それを優しく抱きしめて……少女をあやす様に言葉を続ける。

 いつしか、俺の涙は消えていた――

 

 

 

 それから、少しずつではあったが……少女はかわっていった。

 人との隔たりはあるものの、俺には少しずつだが……その壁が薄れていくのを感じていた。

 足音に怯える日々、男の近くに行くときに震わす体は変わらないが、俺の腕には怯えなくなってきていた。多少ではあったが、それは大きな進歩であった。

 ゆっくりと過ぎていく時間の中、俺は確かに……少女に好意を持っていっていた。それは、雪音に感じていたものと……確かに同じものだった。

 

 そんな日々が永遠に続くと思っていた――

 雪音と望んでいたあのころにように――

 だが、世界は……優しく微笑んではくれなかった……

 

 朝早くから空を切る、金切り声が響き渡り、俺は教会の裏へと走った。

 いやな予感がした。そこは、あの日……少女を守れなかった場所だったからだ……

 俺がたどり着いたそこには、一人の少女と二人の男の姿があった。その内の少女は知っている人だった……華煉だ。

「おやおや……殺すべき対象がのこのこと」

 口元に厭らしい笑みを浮かべながら、男達がこちらに振り返る。

「ディスタンス……」

 目の前の男達は、衣服に漆黒の蝶を描いたエンブレムを刺繍している。それは、死神部隊・ディスタンスに所属している人間の証であり、いわば世界の裏側の人間である証拠である。

 そして……ディスタンス所属ということは……

「僕を殺しに来たの?」

「そうだと思うかい?神官長様」

 改めて目の前にいる男達を確認する。

 装束から考えて、二人共アサシンだ。ディスタンス所属だというほどなのだから、腕に自信があるのだろう。さすがにそれを二人相手にして勝つことは不可能に近い。

「だが、残念だよ。今回のターゲットはお前じゃない」

 お前じゃない――つまり、

「華煉か……」

「そそ」

 まるで遊んでいるかのように、にやけた表情で返事をするアサシンを尻目に、必死で策を練る。だが、良案など浮かんでくるはずもなかった。

 現状の位置取りを確かめる。自分と二人のアサシンを挟んで反対側に華煉がいる。

(せめて華煉のところまで行ければ……)

 距離を確かめる。さすがに相手をかいくぐり、華煉に刃を当てさせぬよう動くのは不可能だ。

(仲間を……いや、呼べば間違いなくその時点で華煉が切られて終わる――)

 どんなに思案をまわそうと、答えが浮かばない。どうすることもできない俺は、ただその場に立ち尽くすことしかできないでいた。だが……そのとき

「何を言ってるの?うちが……ソイツを殺して終わりなだけでしょう?」

 華煉の言葉が……静かにその場を満たした――



Previous/Next
Back