☆
眠れない夜が明け、再び騒がしい朝が訪れた。
教会の朝は早い。次々に訪れてくる参拝者や、書類を運んでくる聖職者達。それらに声をかけながら書類に目を通す。だが、全く集中など出来ないでいた。
「僕を……か」
つい、そんな言葉が口をついて出てしまった。それに対して、近くにいたアコライトの少年が怪訝そうな表情になった。
それをなんとか修正したものの、昨日クラークに言われた言葉が頭から離れない。
そうなると人というのは不思議なもので、頭から離れない存在に会いたくなってしまうものだ。
その時の俺は、すぐにでも華蓮に会いたいと思ってしまった。
なんとか作業に見切りをつけ、俺は自室へと向かった。自室の近くまで来ると、ちょうど俺の自室から出てくるノエルと対面する形となった。
「あれ?ゆず、どうしたの?」
いかにも驚いたといった表情で、ノエルが尋ねる。
「仕事が一段落したので、華蓮に会いに……。少しずつでも、人に慣れて欲しいので
それを軽く返して、俺は自室の扉を開いた。
果たしてそこで俺が目にした光景は、まるで予想しなかったものだった――
まるで清んだ空のような青い髪、透き通るような白い肌、サファイアを二つ落としたような瞳。美しい純白の衣服を身に纏ったその姿は、まるでギリシャ神話に出てくる女神のよう。
その全てが美しく、かつ幻想的で、俺はただただ見惚れてしまっていた。
「どう?かわいいでしょう?」
俺が動けないでいると、ノエルが後ろから声をかけてきた。
「覚えて……無いかな?この服」
服について言われ、もう一度様変わりした少女――華蓮をよく見る。確かに、その服には見覚えがあった。
「これ……姉さんの……」
「そう、雪音の服だよ」
優しく……ノエルが諭すような口調で語る。
「ぅ……あぅ……」
俺の瞳から、大粒の涙が落ちる。
「僕は……僕は……っ!」
周囲にかまうことなく、声を上げて泣き出した俺を、優しく抱きしめてくれた腕が温かくて、俺はただただ……泣き続けた。
「ゆず……は」
そこで、小さな声が……耳に届いた。声のした方を振り向く。そこには、頬をぬらす華煉の姿があった――
「いたい……?」
その指が、ゆっくりと……俺の頬に当てられる。ゆっくり……恐る恐るその指に手を添えると、少女は困ったように頬を赤らめた。
「僕のために……君は……」
とめどなく流れる涙が暖かくて、俺はただただ……少女を見つめ続けていた。
どれぐらいの間そうしていたのだろう……時間にすれば、ほんの少しの間だったのかもしれない。だが、俺にはひどく長い時間に感じられた。
「ゆず……は……」
困ったように微笑む少女に気がついて、俺は我に帰った。
「笑えて……いるの……?」
いままで、人が近づくだけで泣き叫び、暴れていた少女が、確かに今……目の前で微笑んでいる。
それが嬉しくて、俺は少女に抱きついてしまった……
「ひゃぅ」
少女の口から驚きの声が上がり、ビクリとその体が動く。それを優しく……できる限り優しく抱きしめて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕が……守るから……」
「ぅ……?」
「ディスタンスからも……教会からも……必ず僕がキミを守るから――」
ディスタンスという言葉に、少し反応したようで……体が一瞬震えたが、それを優しく抱きしめて……少女をあやす様に言葉を続ける。
いつしか、俺の涙は消えていた――
☆
それから、少しずつではあったが……少女はかわっていった。
人との隔たりはあるものの、俺には少しずつだが……その壁が薄れていくのを感じていた。
足音に怯える日々、男の近くに行くときに震わす体は変わらないが、俺の腕には怯えなくなってきていた。多少ではあったが、それは大きな進歩であった。
ゆっくりと過ぎていく時間の中、俺は確かに……少女に好意を持っていっていた。それは、雪音に感じていたものと……確かに同じものだった。
そんな日々が永遠に続くと思っていた――
雪音と望んでいたあのころにように――
だが、世界は……優しく微笑んではくれなかった……
朝早くから空を切る、金切り声が響き渡り、俺は教会の裏へと走った。
いやな予感がした。そこは、あの日……少女を守れなかった場所だったからだ……
俺がたどり着いたそこには、一人の少女と二人の男の姿があった。その内の少女は知っている人だった……華煉だ。
「おやおや……殺すべき対象がのこのこと」
口元に厭らしい笑みを浮かべながら、男達がこちらに振り返る。
「ディスタンス……」
目の前の男達は、衣服に漆黒の蝶を描いたエンブレムを刺繍している。それは、死神部隊・ディスタンスに所属している人間の証であり、いわば世界の裏側の人間である証拠である。
そして……ディスタンス所属ということは……
「僕を殺しに来たの?」
「そうだと思うかい?神官長様」
改めて目の前にいる男達を確認する。
装束から考えて、二人共アサシンだ。ディスタンス所属だというほどなのだから、腕に自信があるのだろう。さすがにそれを二人相手にして勝つことは不可能に近い。
「だが、残念だよ。今回のターゲットはお前じゃない」
お前じゃない――つまり、
「華煉か……」
「そそ」
まるで遊んでいるかのように、にやけた表情で返事をするアサシンを尻目に、必死で策を練る。だが、良案など浮かんでくるはずもなかった。
現状の位置取りを確かめる。自分と二人のアサシンを挟んで反対側に華煉がいる。
(せめて華煉のところまで行ければ……)
距離を確かめる。さすがに相手をかいくぐり、華煉に刃を当てさせぬよう動くのは不可能だ。
(仲間を……いや、呼べば間違いなくその時点で華煉が切られて終わる――)
どんなに思案をまわそうと、答えが浮かばない。どうすることもできない俺は、ただその場に立ち尽くすことしかできないでいた。だが……そのとき
「何を言ってるの?うちが……ソイツを殺して終わりなだけでしょう?」
華煉の言葉が……静かにその場を満たした――