☆
「この子が……ね」
雪乃を見つめるノエルが、半ば寂しそうな表情でつぶやく。
「でも、まだ……神官長が務まるとは思えないわね」
「私やシア様とは違います――まだ、雪乃は幼い。時期尚早なのは認めます」
「それでも……あなたはこの子を?」
ノエルの瞳が、途端に鋭くなる。その瞳に圧倒されそうになりながらも、柚葉は「はい」とだけ返した。
「今の教会の状況で、この子を神官長にすることは無理でしょうね」
そんな柚葉に対し、ノエルは短く否定の言葉を返した。
その口調は、先ほどまでとはまるで違う。まさに、彼女を“氷壁の神官長”と呼ばしめる所以である、彼女の冷静さと非情さとを兼ね備えた適格な判断であるように思えた。
「今の教会の状況?」
それに対し、柚葉の方が質問を返す。それは、自分の意思を否定されたことからの疑問ではなく、自らがひっかかったことなのだろうが、本人にその自覚はない。だからこそ、柚葉の口調は多少の焦りを含んでいた。
「今、教会は二つに別れているのよ」
小さく溜め息をついたあと、ノエルが言葉を漏らす。
「その原因はゆず……あなただと言えば、分かるわよね?」
「……」
自分への他の感情を、柚葉は十分に理解している。だが、それに応えることもできないことも……
「私は、罪を犯した人間です」
「本当に?」
「え?」
自分のことを話した柚葉に、ノエルが予期せぬ言葉を返してきた。
「本当に……ゆず、貴方が華煉を殺したの?」
「ソレは……もう、何度も答えたはずです」
「でも、私は未だに納得できていないわ」
ノエルの口調が、さらに険しいものになる。その言葉に、その場にいた全ての者が反応し、それぞれが聞き入る形になってく。
「華煉の体に残された傷は二つ。そのどちらもが、短剣によるものだった」
「……」
「そのうちの片方が、致命傷となった心臓への一突きね」
虎視眈々と語るノエルに、柚葉の腕がわずかに震えている。ソレを確認するかのようにノエルは柚葉を一瞥し、言葉を続ける。
「柚葉、たしかに貴方は対術においても他に秀でたる素質を持っていた。けれど、いかに貴方とて聖職者が禁忌とし、扱うことのできない短剣を使ってアサシンの胸を一突きできるとは思えないんです」
確かに……という言葉が、周囲からあがる。それは、同じ聖職者であり、柚葉以上の経験をもって上級位聖職者となった優哉の口から発せられた言葉だった。
「華煉は自殺ではなかったのですか?」
ノエルの言葉が、容赦なく柚葉の胸を貫く。柚葉の顔色が見る見るうちに青ざめていく。それはまるでその事実を肯定しているかのように……
「たしかに、貴方はそれを否定しました。けれど、貴方は当時死を望んでいましたね」
「……」
「それを否定し、罪人となれば死ねると思ったんじゃないんですか?」
カタカタと音を立てて震える柚葉の腕が、その焦燥を表しているようだ。もはや何を言うでもなく、柚葉はその場でうつむき、震えるのみと化していた。
「もうやめてください!」
そこで、耐え切れなくなった雪乃が声をあげる。その声に、柚葉の体がピクリと動く。
「もう……やめてください」
涙目になり抗議する雪乃を見つめるノエルの瞳は、凍りつくほどに冷たく、射抜くほどにきついものだった。それでも、雪乃はその目をそらすことなく必死に抗議する。程なくして、ようやくノエルが目を閉じて柚葉に向き直った。
「まぁ……ゆずが言いたくないことを、無理に言わそうとは思わないよ」
ようやく、伊豆木に来たころのような優しい瞳になったノエルがやわらかい口調でしゃべる。
「でもね、私はやっぱりいやなんだ……ゆずのいない教会がさ」
その言葉に、柚葉の方が寂しそうな表情になる。
「ゆずが好きだから」
そんなノエルの口から紡がれた言葉は、ひどく重い気がした。「好き」という言葉にこんな重さを感じたのはきっと初めてだろう。
それでも、柚葉にはそれを受け入れるだけの強さがあったはずだった。少なくとも、以前には――
「いつか、真実を教えて欲しいな」
そう言って、ノエルは振り返る。
「今日は会えてよかった。今度は、きちんと時間のあるときに……ちゃんと会えたらいいな」
優しく微笑むその姿に、言葉にできないような痛みと寂しさを覚えた。
「ちょうどいいのかもしれないな――」
ノエルのいなくなった伊豆木で、柚葉は小さく呟いた。
「今なら、優哉さんや雪乃もいる……昔話をするにはちょうどいいのかもしれない」
柚葉の声は、小さく震えているように感じた。
「飛鳥……君にはどこまで話したかな」
「雪音さんが、死んだところまで……か」
「そうか……」
少しの間、柚葉の瞳が宙を舞う。そして、言葉を選びながら、悩むように柚葉が口を開く。
「その事件から少しして……俺は一人のアサシンの少女と出会った……」
まるで消え入りそうな声で紡がれた言葉。
「少女の名は……華煉(カレン)……」
☆
柚葉が伊豆木にてノエル達と再会を果たしているころ。そこから南に位置する山岳の都市フェイヨンで、一人のクルセイダーの青年がフェイヨン地下より脱出してきていた。その体はひどく傷ついており、その青年の元へ弓手村の者達がそれぞれに手に持った傷薬で手当てを行っている。
「バカな……早すぎる……」
その姿を見て、長老と思われる高齢の男性が声をあげた。
「旭江よ……その話は本当なのじゃな?」
「はい……相違ございません」
長老の言葉に、旭江と呼ばれた男が静かに答える。それに対し、周囲にざわめきの声が上がる。
「バカな……こんなにも早く覚醒なさるはずが……」
長老の額に大粒の汗がにじみ出る。旭江もまた、その額に汗をにじませた。
「時機を失えば……手がつかなくなってしまいます。ですが……今の我等では、あの方に打ち勝つことは――」
“あの方”……その言葉に、悲しみと失望を合わせたような感情が浮かび上がる。
「そうじゃな……せめてあのものがおれば……」
「長老、私はこれよりプロンテラに赴こうと思います」
「ウム。それがよかろう……」
傷の手当てもそこそこに、旭江は立ち上がり歩き出していた。それを心配した村人が手に持ったポーションを差し出していく。
「柚葉……」
旭江の口から、思い出の中にある男の名が零れ落ちる。どんな境地に陥ろうとも、決してあきらめることなく、最後まで勝利を信じ戦い続けた男。自分の最も信頼を寄せる男の名が……
「月夜花……」
そして次に零れ落ちた名は、今の現状。目の前に降り立った問題そのものであった。
月夜花……ウォルヤファと呼ばれる大きな問題を……