その日は、夕方から突然降り出した雨で外を歩く人もまばらだった。ここプロンテラでもそれはかわらず、人々はいつやむとも知らない雨にうんざりしながらも普段どおりの生活を送っていた。

 そんな中、教会に向かって走る一組の少年と女性の姿があった。

「ふぅ…遅くなっちゃったね…みんな心配してるよきっと」

「お姉さんがそんなぬいぐるみなんか買おうとするからだよ。似合わないのにさ」

「なによぉーゆずまで!」

 女性の方は二十歳程度、上から下まで青いローブとフードで覆っており、その胸元には美しい十字のロザリオが光っていた。少年の方はもっと幼く、十四・五といったところだろう。真っ赤な髪と小さなメガネが特徴的な少年で、こちらは薄く黄色いローブを身に纏っている。背格好に対して顔が幼いせいか、さらに幼く見える。

 一見すると兄妹のような二人。子供っぽく、すこしませた弟と、それを愛する少し大人びた姉といったところだろうか。ありふれた町のありふれた風景。だれもが微笑みかけたくなるような、まるで絵に描いたような小さな幸せの縮図。

 

ザシュ――

 

周囲の闇を切り裂くように突然、小さな音が周囲に響いた。

「へ……?」

一瞬少年、柚葉の瞳には闇そのものが動いたように見えた。

その“黒い闇”は、全身を闇色の服で覆っていた。

 

「うぁぁああ……」

 自分の隣にいた女性、雪音の叫び声で突然現実に引き戻される。その瞬間、目に映ったのは雪音の背から巻き上がった真っ赤な鮮血だった。

「お姉さんっ!」

 雪音の背が、みるみるうちに赤く染まっていく。何が起こったのか、それすらもまったくわからないまま、本能だけが心の奥で叫んでいた。「このままじゃやばい」と――

「ぅあああ――」

もはや、雪音の叫びは人の言葉を放ってはいなかった。

「お姉さん、お姉さんっ!」

 雪音の背からは止まることなく血が流れてくる。柚葉は闇のいた場所に振り返り叫ぶ。だが、そこにはすでに何もなかった。

「うわぁっぁあああ。我、汝が傷癒さんヒール!!」

 雪音の背の傷に向け、癒しの光を放つ。だが、一度はその光を浴びて傷が塞がったものの、またすぐにひらいてそこからやむ事のない血が流れ始める。

「なんで…なんなんだよこれっ!」

 なんど傷をふさいでも、その傷は再び開き雪音の背を赤く染める。こんな症状になっているのを柚葉は見たことがなかった。

「なんなんだよ…これぇ…。とまれっ、とまれぇぇええ!」

 柚葉の叫びはいつの間にか嗚咽へと変わっていた。ヒールを唱え続ける腕から、いつしか光が放たれなくなっていった。力の終わり――

不意にそれまでぐったりとしていた雪音の腕が柚葉の服をつかんだ。

「ゆず……逃げないさい」

 嗚咽のような……叫びのような……けれどしっかりと聞こえる声で、雪音は柚葉に言い、その顔に微笑みを浮かべた。

「はやく……あれはアサシン。いや……この症状から考えてアサシンクロスかな……。早く逃げて、さっきのが目撃者であるゆずを殺そうと戻ってくる前に――」

 柚葉の服をつかむ雪音の腕に込められた力が、少しずつ失われていくのが見て取れた……

「やだよ――お姉さんをおいていくなんてやだよぉ」

 柚葉の瞳から大粒の涙が零れ落ちた……

 いやだった――雪音を置いて逃げるくらいなら、このまま共に死んでしまいたかった。

「いやだ……僕をおいてかないで――」

 けれど――

「いくの……はやくっ」

 もはや光を失いかけた瞳で雪音はまっすぐと柚葉を見つめ、その顔に微笑を浮かべた。

「私の分まで……ね?」

 

 

 

 いつしか……目の前が暗くなっていた。

 

 曖昧な記憶……

 

 いや……俺は逃げてるだけだ……

 

 思い出すのがいやなだけだ……

 

 記憶の糸をたどった先に、自分が気がついた場所は教会だった。雪音の血で真っ赤に染まった自分の服。いつの間にか雪音に渡されていた、いつも彼女が身に付けていたロザリオ。その二つが、これは夢ではなく現実なのだと柚葉につげる。耳には、雪音が最後に残した言葉がまるで残響のように繰りかえり繰り返し流れる――

「ゆきの……ごめんね、こんなお姉ちゃんを許してね?」

 ゆきの……それがだれのことなのか柚葉にはわからない。けど――そんなものはなんだってよかった。

誰だっていい――

 

僕を殺してくれないか……?

 

雪音を守ることが出来なかった弱く、おろかな自分……

何も出来なかった自分をだれか責めてくれ……

もう二度と立ち上がれなくなるくらい……

責めて責めて責め抜いてくれないか……

 

もう……何も考えられなくなるくらいに……

ぼろぼろにしてくれないか……

 

僕を……殺してくれないか……?



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