「ぅー…」

 暖かい日差しの中、雪乃は目を覚ました。

 ズキズキと痛い頭をさすりながら、何とか体を起こそうとするが、まるで鉛のように重くて持ち上がらない。

 まったく力の入らない自分の体に、ため息を一つついてからしばらくはこのままでと再びだらりと手を下ろした。

「おはよう、雪乃」

 そこで、柚葉の声が聞こえてきた。見ると、少し呆れたような笑顔でこちらを見つめている。

 それに対して、まったく動こうとしない体を何とか起こして悪戯っぽく笑ってみせる。

「まったく、未成年が二日酔いを起こすまで飲むとは……ね」

 そういって差し出されたのは、不思議な香りの飲み物。口をつけてみると、少しぬるめで甘い。薬草か何かだと思うが、雪乃にはそういう知識が無いのでよくわからない。

「脱水症状を起こしているから、できるだけ水分をとった方がいい。ただし、胃炎を起こしているかもしれないからあまり冷たいものはよくない」

 よく分からないが、柚葉の言うとおりなのだろうと一人で勝手に納得する。それでも、相変わらず柚葉の表情は少し暗い。

「あまり……心配をかけさせてくれるな」

 泣きそうな微笑みを浮かべる柚葉を見て、アルデバランで傷つき焦点のあわぬ瞳をしていた柚葉を思い出してしまった。

「……ごめんなさい」

 言葉に詰まりながらも、なんとか謝罪の言葉をつげる。

 そこで、ようやくいつものような優しい目をした柚葉が雪乃の頭に手をのせた。その目に吸い込まれそうになる。

「わかったら、用意をして。行こう」

「行く……?」

「あたたかい……場所だよ」

 やさしい微笑みをその口元に浮かべる柚葉に、雪乃は一抹の不安と大きな期待に胸を躍らせていた。

 

 

 

 早朝とはいえ、プロンテラは活気に満ちていた。

 特に、今歩いているメインストリートは多くの人たちが右往左往している。そこで、雪乃はようやく自分たちの中に一人足りないことに気がついた。

「あれ……飛鳥は?」

「ん?あぁ、教会に用事があるそうだ。会いたい人がいるんだってさ」

「そうなんだ」

 会いたい人、というのが少し気になりながらも、少し小走りになりながら柚葉の歩調に合わせる。そこで、柚葉が立ち止まった。見ると、とても寂しい瞳で何かを見つめている。その目線の先にあるものを追う。はたしてそこには、柚葉に手を振る小さな少年とその母親であろう一人の女性の姿があった。

 その二人が、こちらに近づいてくる。それに対し、柚葉の方はその表情に少し影を落とした。

「あのときの……」

「えぇ、その節は大変お世話になりました。本当に……なんとお礼を申し上げればよいか。あの時貴方様がおられなければ……ティルは――」

「もう、傷はなんともないですか?」

「うん、お兄さんのおかげ」

 満面の笑みで笑う少年、ティルの頭に手をのせ柚葉は優しく微笑んだ。

「俺は治る力を後押ししただけだ……君の生きたいという意志が、そうやって元気に走り回れる力を取り戻したんだよ」

 そして、短く「それでは」と呟いてから柚葉は再び歩き出した。

 その姿に、雪乃は少しだけ寂しくなり、その背中に力いっぱい抱きついた。それを見ていた少年が驚きの声を上げたが、気にせず抱きつく。

「雪乃……?」

「……」

 自分を呼ぶ柚葉の声を無視して、腕に力を込める。その手に、柚葉の手がやさしく添えられる。

「……手放したりしない。同じじゃない――」

 優しくささやかれた柚葉の言葉に、雪乃は耳の裏まで真っ赤になってしまった。

 そして……ゆっくりと、二人は歩き出す。

 

 

 

 普段以上に何もしゃべらない柚葉に、雪乃は抑えられない不安を抱きながらも着いていく。プロンテラの門を越え、さらにしばらく歩くと、プロンテラの衛星都市でもある港町イズルードが見えてきた。

 その近くで、柚葉は立ち止まる。そこは、小さな丘になっていた。その中心には大きな一本の木が立っていて、暖かい日の光を浴びて輝きを放っている。

「ゆず?」

 思わず声をかける。それに対して、柚葉の方は少しため息をついてから。

「隠れてないで出てきてくださいよ、この子には分からないんですから」

 などと、何も無いところに向かって声をかけた。正確には、何も無いと思っていたところ、に。

「はっはっは、さすがにゆずにはばれるか」

 すると、そこから声が返ってきた。雪乃は驚きで目を見開いている。

「はっはっは、じゃないですよ。大体そんな大人数で……」

「ぁー言うな言うな。出るから」

 ポンッという音が響いたかと思うと、その場に十人近い数の人が現れた。

「久しぶりだな、柚葉」

 その中心に立つ、柚葉とよく似た青年が声を出す。

「おひさしびりです、優哉さん」

 それに対し、柚葉が丁寧に返した。それを、「敬語はなしっていってるやん」などと少しおどけた声で返しながら、青年優哉は満面の笑みを浮かべた。そういう顔をすると、さらによく似ている。同じような真紅の髪、瞳を覆う小さな眼鏡。服装が柚葉と異なり、白を基調とした装束を纏っていることと、柚葉と違い屈託の無い笑顔を浮かべるところが違うくらいだ。

 その服を見て、この人が上位聖職者であるハイプリーストであることに気がついた。

 ハイプリーストとは、尋常ならざる修練を積んだプリーストが、神々の住まう地ヴァルハラにおいて選定者ヴァルキリーに認められることでその職につくことができると言ういわばプリーストのエキスパートである。

「で、この子が例の子やね?」

 そこで、優哉の視線に気がついた雪乃が慌てて頭を下げる。

「雪乃と言います。よろしくおねがいします」

 たどたどしい口調ではあるが、しっかりと挨拶をする。それを笑みを浮かべながら見つめる優哉の口から、

「本当にかわいい子だね」

 などという軽い言葉が返ってきた。そして……

「ゆず、実はロリコンだったんか」

「は……?」

 いきなり言われた言葉に、柚葉の目がまるくなる。

「いや、その子がゆずの彼女やろ?」

 その言葉に、今度は雪乃の方が顔を真っ赤にさせた。

「な……なにを?どういう?」

「いや、郷華さんがそんなことを……違うん?」

「いや……そうですとも違いますとも言えませんが……」

「なんや?友達以上・恋人未満?」

「まぁ……そんなところで……ってそうじゃないでしょう!」

 つい、のせられて恥ずかしい発言をしてしまったことに気づいた柚葉が、そこにきて言い返す。その口調には、明らかに焦りの色が見える。

「知ってるって」

「え?」

「雪音の……妹やろ?」

 そう言って柚葉を見つめる優哉の瞳は、どことなく寂しさを落としていた――



Previous/Next
Back