「ゆず……」

「雪乃……なんで……」

  突然現れた雪乃に、柚葉は困惑の表情を隠せないでいた。

「柚葉……」

  雪乃に気を取られていると、いつの間にかクラークは振り返り立ち去ろうとしていた。

「お前は生きたいと言ったんだろう?ならば、全力で生きてみせろ」

  長い法衣をまるでマントのように翻し、クラークはその場を離れて行った。

(理由……か――)

  歩きながらも、クラークの頭の中にはセシルの葬儀の日、雪音とした会話が蘇っていた。

 

「クラーク……ディスタンスに行くって本当なの?」

「あぁ、そうだ」

 困惑の表情で問いかける雪音に、クラークは小さく返事をした。

「なんで!?」

「……」

「ゆずが憎い……そんなんじゃないよね?あなたがそんなことで動くわけないってこと、私は知ってるよ?」

 痛いところをつかれた、そんな気持ちで空を見上げる。所詮、この人には自分の嘘など時間稼ぎにすらならないことは分かっていた。

「……あなたには勝てませんね」

「……セシルちゃんの復讐?」

「あぁ……間違いなく、奴らの中に犯人はいる――」

「騎士団や……教会に任せていれないの?」

「証拠がない今、何もすることは出来ない。ならば、その証拠を手に入れるためにも俺は行かなきゃいけない」

「……」

 セシルの命を奪ったものを、独自の調べでクラークはディスタンス所属の誰かであると断定していた。

「あとは……それだけじゃないんだ――」

「ぇ?」

「ディスタンスが……あなたと柚葉に目をつけているという情報が入った……」

「……どういうこと?」

 雪音の顔に焦りと困惑の色が浮かぶ。

「どういう理由かは分からない。だが、もしもあなた達の命を狙うことだとしたら……それを俺は止めたい――」

「……」

「だからこそ、俺がディスタンス入隊においてあちらに出した条件は一つ――」

「……なに?」

 話していいのか、そんな自問自答を自分の胸でくりかえしながら、意を決しクラークは口を開いた。

「妹の敵であり、憎悪の矛先である柚葉を俺の手で殺すこと――」

「……っ!?」

「そうすることで、奴らは柚葉に手を出せなくなる。あなたを護ることは叶わないが、それでも柚葉だけでも護ってやりたい……」

「……」

「柚葉はセシルの愛した男だ――だから、あいつを死なしたくはないんだ……」

 自分のたった一人の親族であり、もっとも護りたかった妹。その妹が愛した男を、妹と同じように死なしたくはなかった。それは、矛盾しているのかもしれない。だが、クラークにとっては大切なことだったのだ――

「……そっか」

「えぇ、ですが……入れば抜け出すことはできないかもしれない――」

「うん……」

「それでも、なさねばならないんです……」

「そっか……わかった。それなら、とめれないね」

「すみません、最後の最後まであなたにはお世話になってしまって……」

 今にも泣きそうな瞳でこちらを見つめる雪音に、クラークは恭しく頭を下げた。

「そんな!そんなこと……ないよ」

 かしこまった表情になったクラークに、雪音は慌てて返した。

「……いつか」

「え?」

「いつか、全てが終わったら……三人で飲みましょう。楽しいお酒を――」

 小さな微笑みを浮かべるクラークに、雪音は寂しさと辛さを感じた――

「うん、絶対……」

「ですが……」

「ほぇ?」

「あなたが柚葉と結婚する時には呼んでくださいね」

「ちょ!どういうことそれ!」

 そう言って……笑った。まるで、最後の時を楽しむように……

 それから先……彼ら二人が生きて顔を合わすことはなかった――

 

(お前は知らなくていい――)

  口元に小さな笑みを浮かべながら、前に進む。だがその道は、とてつもなく長いように今のクラークには感じられていた……

 

「ゆず……ばか……ゆずのばか!」

「雪乃……」

 ばかと言う言葉を繰り返しながら泣きじゃくる雪乃に、柚葉は呆然と立ち尽くすしか出来ないでいた。

「ゆず!」

 そうこうしていると、後方からまた新たなる声が響いた。振り返ると、そこにはレイナと翼の姿があった。

「あんたね!何逃げてんのよ!」

「レイナ――」

 怒りを露にするレイナに、柚葉は目をあわすことができなくなってしまった。

「だいたいね!雪乃ちゃんまでおいてくとか何考えてるわけ!」

「……」

 その言葉に、言い返せない柚葉に翼が近寄った。

「柚葉、雪乃さんは教会に行くべきだと君は言っていましたが……」

「……」

「彼女は、それを望んでいないようですね」

 微笑みかける翼に、柚葉はただ立ち尽くすことしか出来ない。

「無理に彼女を連れて行くことは教会としても喜ばしくない。ですから、今は彼女を君の元へ置いて戻りたいと思います」

「……はい」

「うん、では私はこれで」

 振り返り元来た道を引き返そうとして、翼は突然立ち止まり柚葉の方を振り向いた。

「今度、近いうちに教会に顔を出しなさい柚葉」

「え……?」

「私以外の二人も、君に会いたがっていました。特にノエルがね――」

「ノエル様が?」

「えぇ、彼女は未だに君のいない教会に馴染めていないようですしね――」

 口元に小さな笑みをうかべ、翼は歩き出す。その姿に、柚葉は言葉に出来ない寂しさを感じたような気がした。

「ゆず……」

「……?」

 呆然と立っていると、雪乃がその腕をひっぱった。

「私に……ゆずは好きなものになればいいって言ってくれたよね?」

「……あぁ」

「私……私プリーストにもモンクにもならなくっていい!」

 柚葉の腕に顔をうずめるような形で雪乃は呟く。

 

「私……私、ゆずのお嫁さんになりたい」

 

 ささやかれたその言葉は、柚葉の胸にまるで短剣のように刺さった。

「あなたの傍に……ずっといたい!」

「雪乃……俺は――」

「お姉ちゃんとは違う!でも……でも、私ゆずが好き」

 顔を上げ柚葉をまっすぐに見つめる雪乃の瞳は、大粒の涙を保っている。その姿はまるで、雪音にぶつかった自分を見ているようだった……

「……俺は……犯罪者だ。人を愛することなんて、出来やしない――やっちゃいけないんだ!」

「そんなことない!」

「雪乃……」

「そんなの関係ない!ゆずは……ゆずだもん!他のなんでもないもん!」

 抱きしめたかった……その小さな体を。何にも縛られることなく――

 もしも、雪乃が雪音の妹でなかったなら……

 自分が、罪人でなかったなら……

 その体を、なにも考えることなく、恥じることなく抱きしめられていただろうか――

「雪乃……」

 未だにはっきりと出来ないでいる柚葉に、雪乃は抱き付き……

かなりの身長差があるにもかかわらず、飛び上がったその体で柚葉の唇に自分の唇を重ねる。

「んむ……っ」

 まだ幼く、大人の口づけを知らない雪乃だが、必死になってその唇を押し付けているのが分かった。

 ゆっくりと……その体を抱きしめてやる。そうすることで、それまで力いっぱい抱きついていたその腕の力を少しずつ雪乃は抜いていった。

 

 どれだけそうしていただろう。実際には、ものの数秒なのかもしれないが、柚葉にはずいぶんと長い時間に感じられた。もうここまでだろう。そう自分に言い聞かせ、雪乃の体を離す。まるで放心したようなとろんとした瞳でこちらを見つめる雪乃に、柚葉はもの寂しい瞳で見つめ返した。

「雪乃……君は……」

「……」

 反応の薄くなってしまった少女に、柚葉は何もいえなくなってしまっていた。

「ゆず……なんてかさ」

 そんな柚葉に、それまで傍観に徹していた飛鳥が口を開いた。

「答え……っていうか、お前の気持ちを素直に言えばいいんじゃないのか?」

「……」

「まぁ、今すぐには出来ないかもしれない。でも、オレ達はこれからもずっと一緒だろ?」

「飛鳥……」

 その言葉の意味は、すぐに分かった。だが、それを認めていいかが分からないでいた。

「俺は……」

 うつむきながら、必死に自問自答を繰り返す。だが、答えなど出てくるはずがなかった……

「難しく考えるのはやめようぜ?」

「……」

「行きたいかどうか、それだけでいいじゃないか」

「……」

「オレは……行きたいって思ってるぜ?三人でこれからも――」

 答えの出るはずのない問題を胸にかかえながら、空を見上げる。

 その空は、今日も晴れ渡っている。そんな空をみると、思い出すのは雪音の髪だった。まるで空のように鮮やかな色をした、美しい髪。本人はあまり好いていなかったようだったが、それでもそれは柚葉にとって憧れであり、美しいと思えるものだった。

(いいのかな……俺は、こんなにも幸せで――)

 飛鳥の差し伸べた手を取れば、そこにあるのはきっと幸せであり、何よりも自分の願うものだろう。だが、罪を犯した自分がそれを求めていいのだろうか。

「いいんだよ、ゆずは……誰よりも幸せになる権利があるはずだから……」

 どこからともなく、懐かしい声が聞こえたような気がした。それは、自分にとって最も大切な声……

 小さく吹いた風が、柚葉の髪をなでる。それはまるで、雪音が自分の頭を撫でてくれた時の感触のようだった。

「そうだな……」

 意を決し、柚葉は雪乃と飛鳥の方を振り返る。

「行こう、いつまでも……みんなで」

 小さく言い放ち、地面にブルージェムストーンを投げる。

「旅立ちの扉よ、今ここに開け!ワープポータル!」

 ブルージェムストーンが砕け、そこに光の扉が浮かぶ。

「行こう!みんな!」

 満面の笑顔をうかべる柚葉に、飛鳥と雪乃が寄り添う。

「雪乃……答えは、少しとっておいてもいいか?」

「うん……ずっと一緒だから」

「……ああ、一緒だ」

 微笑みを浮かべながら、雪乃を見つめる。その姿は、とても愛おしく思えた。

「ちょ……ちょっとまちなさーい!」

 完全に自分を忘れられているような気分で、レイナが怒鳴りつける。

「あんたも報酬とかうけなさい!」

「レイナ!俺は報酬なんていらない、あんたが受け取るか、教会にでも寄付してもらうように言っておいてくれ」

「ちょ……いい加減にしなさいよ!」

「また会おう、必ず――あんたも、俺の大切な仲間なんだ」

「大切な仲間をこんな目にあわすなー!」

 怒りを露にするレイナの言葉は、ワープポータルによって次の舞台へと進む柚葉達には最後まで届くことはなかった。

 

 

 扉の中、柚葉は目を瞑り考える。

 これまでのたった数週間での出来事。

 それは、今まで自分がずっと欲しくて……

 ずっと手に入らなかった何かなのかもしれない……

 

 ここにいる大切な仲間を

 護りたい……

 

 そしてなによりも……

 生きたい――

 

 大切な仲間と共に……



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