「え?今から?」

「うん、ちょっとだけでいいから……」

 紅茶の用意を手伝っていた柚葉に、セシルが声を掛けた。

 小さな目を震わせながら懇願するセシルに対し、柚葉は首を小さく縦にふった。

「うん、わかったよ」

「ありがとう。じゃあ、あっちで待ってるね」

  その返事に、セシルは今にも飛び上がりそうなほどの笑みを浮かべた。

 トテトテと、カルガモのように歩くセシルの姿に、柚葉は不安の色を湛えていた。

(でも……お姉さんと紅茶――)

  そんなことを考えていると、背にしていた扉が開いて雪音が姿をだした。

「ゆず?どうしたの?」

「え?いや……うん」

  困ったような表情になった柚葉に、雪音は不思議なものを見たような顔になった。

「ん?どうしたの?まだしんどい?」

「うぅん、なんでもないよ」

「そ。じゃぁ、そろそろパイも焼けるころだから部屋の中で食べましょ?そこ、冷えるでしょ?」

 セシルが来ていたことを知らない雪音に、柚葉は何と言うべきなのかを迷っていた。

(ちょっとだけ……いいよね?)

 雪音に話して行くべきか、それともここで雪音の元に戻るべきか。迷いながらも、柚葉は雪音の方を選択した。

「うん」

「はい、いい返事だね」

 暖かい室内に入った柚葉の周囲に、焼きたてのパイと紅茶の甘い香りが広がった――

 

 柚葉達がパイを食べているころ、セシルは一人教会の外に立っていた。

(ゆず……遅いなぁ……)

 まだ冬には早いというのに、体に当たる風は冷たく痛い。コートでも持ってくればよかったかなと一人ごちしながら、震える手をさする。

 すると、教会の裏側にある墓地の方からカランという音が聞こえてきた。

「音……?」

 常人ならば気づかなかったのだろうが、視力を失ってから常人よりもはるかによくなってしまっているセシルの耳には、その音に続いて聞こえる何者かのうめき声までもが届いてしまっていた。

「……誰?」

 焦りと不安にかられながらも、聞こえる音を頼りに恐る恐るそちらへと向かう。うめき声が次第に大きく聞こえ出したころ、ザシュリという何かが切れるような鈍い音が聞こえた。

 その音に、セシルは聞き覚えがあった。それは、刃物で人の体を引き裂いた音に相違なかったのだ――

「……っ!」

 身を翻し、急いで来た道を引きかえろうとする。だが、足がすくんでその場にヘ垂れ込んでしまった。

 急いで立ち上がろうとするも、体が言うことを利かない。

「……見られてしまいましたか」

 その声に、セシルは振り替える。盲目になってしまっているため姿を見ることはできないが、確かにそこに感じるのは血で染まった者のもつ圧倒的な威圧感だった。

「まだ子供……か。ですが、仕方ないですね――見られてしまったのですから」

「……っ!」

 ザシッという音が響き、セシルの足に鈍い痛みが走った。声にならない叫び声を上げようとするも、その口を強引に押さえ込まれ声が出ない。

「――盲目?君は目が見えないのかい?」

 明らかに焦点の合わない瞳から涙を流しているセシルを見つめ、男は驚きを隠せないでいた。

「姿を見られていなければ証拠にはならない……が、だからと言ってこのまま返すわけにもいかないか」

 男は、強引にセシルの体をその場に倒すと、ヒュンという小さい音と共に手に持った短剣でセシルの胸元を突いた。

(ゆず……たすけ……て……)

 声にならない思いが、胸の中であふれる。

(なんで……来るって……来てくれるって言ったじゃない……)

 短剣を引き抜いた男は、躊躇なくセシルの喉を切った。

(いや……だ……)

 沈む意識の中、少女の頭に浮かんだのは赤髪に小さなメガネをつけた少年の姿だった……

 その姿は、自分を見つめてはくれなかった……

(おに……ちゃん……ごめ……なさい……)

 

 それから数十分後、セシルとその近くにいたブラックスミスの遺体が墓地の掃除にきた教会のプリーストによって発見された。

「セシル……?」

 教会に運ばれるセシルの体は、丁寧に白い布をかけられ見ることは叶わなかったが、柚葉の横を通りすぎたそれは柚葉の心に重くのしかかったように思えた。

「僕が……僕がいかなかったから……」

 柚葉の瞳から、涙が雫になって零れ落ちる。

「なんで……あの時……僕は」

 ぼろぼろととまることのない涙が、謝罪の気持ちをさらに増加させる。

 

 その日のうちに通夜が執り行われ、次の日にセシルの体はゲフェンの東部にある小さな墓地に埋葬された。

 親族がクラーク一人のセシルは、身元の分からない子供達が眠る場所に、その体を埋められるはずだった。だが、神官長である雪音の反対に、神父であるマリウスがクラークの意思を汲み取り、二人の唯一記憶のある場所へと埋葬することを許可した――

 埋葬されるセシルの体を見つめながら、その式に参列した多くの者達が皆涙を流す中。クラークと雪音は二人その場から少し離れた場所にいた。

 妹の死によって、悲しみを堪えきれないクラークを雪音がなだめているのだろうと誰もそれを気にすることはなく、柚葉すらもその中で行われていた会話を知ることはなかった……

 

 

 

「あの日……俺のせいで……セシルは死んだ……」

「そうだ――」

「……俺があの時言ったことを守ってれば――」

 柚葉は、一人嘆くような声で呟いた。それに対し、クラークの方はやけに落ち着き払ったような表情でそれを見つめている。

「そんで……その復讐のためにディスタンスに入ったのかよ」

 そこになって、それまで黙って聞いていた飛鳥が口を開いた。

「そうだ――」

「なんでだよ……なんでみんな人を憎むことしかできないんだよ!」

 飛鳥の悲痛な叫びは、誰に向けられたものなのか、それは飛鳥自身にも分かりはしなかった……

「確かに俺は……あなたの憎しみの対象だ――」

「……」

 飛鳥の言葉に、胸が痛くなるような気持ちになりながらも、柚葉は口を開く。

「だが、本当にそれだけなのか?クラーク……あなたがディスタンスに入った理由は」 

柚葉の問いに、クラークの眉が小さく動いたのを柚葉は見逃さなかった。

「なにか……あるんじゃないのか?本当は――」

 柚葉から投げ掛けられる問いに、クラークが口を開こうとしたその時――

「ゆず!」

  後方より声を掛けられ、柚葉はそちらの方に振り向いた。そこには、鮮やかな空色の髪と、輝くようなサファイアの瞳をした、雪のような真っ白い肌の少女が立っていた。

「ゆき……の?」

  目の前に立つ少女の名を、柚葉は小さく呟いた――



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