☆
「じゃぁ、そろそろ帰るね」
「うん」
簡単な挨拶を終わらせ、柚葉と雪音は部屋の外へ出た。部屋を出ることで緊張の糸が切れたのか、柚葉はその場にへたれこんでしまった。
「大丈夫?」
その姿を、雪音が心配そうに見つめる。それに対し、柚葉は笑顔で「大丈夫だよ」と一言だけ呟いた。
外は風が強くなったようで、窓がカタカタと音を立てていた。その音を聞きながら、雪音は小さくため息をついた。
もともと、今回のドッペルゲンガー討伐メンバーに柚葉とセシルを同行させたのは自分の案だった。柚葉のもつ、他を圧倒するほどの才能。そして、みんなを守りたいと強く願う心。それらをさらに成長させるため、この一戦が必要だと思ったのだ。ただ、柚葉のみを連れて行くことができないため、セシルを加えた。初めは、それだけの理由で加わった少女だった。
今になって、上層部にたてついてでも柚葉のみを同行させるべきであったと考えてしまった。いまさら何を言ったところでもう遅いのだが、柚葉に背負わされた重みは、自分が作ってしまったのだ。
神官長失格だな……そんな言葉が頭に浮かぶ。
「いこっか、ゆず。紅茶でも飲んで落ち着こう?」
「……うん」
柚葉の震える手をとり、ゆっくりと立ち上がらせる。そのまま自室へ向かおうとしたが、目の前を歩いてくる黒髪のプリーストの姿が目に映った。
「……クラーク?」
プリーストの青年の名前を呟きながら、雪音はその姿を見つめていた。
青年、クラークの方は、こちらに気づくと少し困ったような表情になりながら、一度頭を下げた。
「お見舞い……ですか?」
「えぇ、あなた方も?」
「うん」
「そうですか、妹も喜んでいることでしょう」
簡単な社交辞令のような会話をしながらも、クラークは寂しそうな目で雪音達を見ていた。
「俺には……こうする以外何も出来ませんから――」
そう呟いたクラークは、今にも泣き出しそうな顔をした……
☆
「入るぞ」
そう一言言ってから、クラークは扉を開いた。
「風が出てきたが、寒くはないか?」
「うん……」
「そうか――」
小さく返しながら、手に持っていた毛布をその場に置いた。
近くにあったイスに腰掛けながら、目の前にいる妹の姿を見つめる。昔は絵に描いたように元気で、自分が来ると今にも飛びつきかねないほどだった。
それが今はどうだろう。イスに腰掛け、必死に涙をこらえようと肩を震わす少女には、その頃の面影などほとんど無いように思えた。
いつも笑顔だったその顔は、沈んでしまって暗い。何かをしゃべろうとする度に慌ただしく動いていた手足は、今では全く動かないのではないかと思えるほどだ。
もともと小柄な体格の少女だが、今はそれ以上に小さく見える。
「寒いのは……体じゃないか?」
「……」
今にも泣き出しそうな少女に、出来る限りやさしく声をかける。
「泣いても……いいんだぞ?」
「……おに……ちゃん」
「泣いたからって、誰もお前を責めたりしない……」
そう言いながらクラークは立ち上がり、懸命に泣くのをこらえている少女の肩をやさしく抱き寄せた。
その肩は、思った以上に小さく、か細い。その小さな肩に、これ以上辛いものを背負う必要なんてない……そんな風にクラークには思えた。
「大丈夫……分かってるから、俺は分かってるから……」
いつからか、クラークにはセシルが胸に秘めている想いに気づいてしまっていた。誰にも気づかれていないつもりなのだろうが、セシルの姿を見ているとそれは分かってしまった。
「好きなんだろ……?あいつのことが――」
抱き寄せていたその体を、包み込むように抱きしめる。
抱きしめられた少女は、小さな嗚咽を上げながら泣き出した……
「ほら、行ってこい」
「う……でも……」
「でもじゃない、行ってこい」
クラークの言葉に、セシルは今までに見せたことが無いほど頬を赤く染めた。
「ほら、早く」
肩をたたき、背中を押してやる。それは、少女にとっては酷なことかもしれない。それでも、いつまでも泣かしていたくは無かった。たとえその結果が、望んだものではなかったとしても……それでも、少女の想いをいつまでも胸に秘めさせてはいたくなかったのだ。
「分かった!行ってくる!」
セシルの言葉に、クラークは恥ずかしそうに微笑を浮かべた。
☆
「翼……?」
突然現れた白衣の青年――翼を、レイナは小さく身震いしながら見つめた。
「おや、君はたしか……レイナさんですよね?」
「……」
ニコリと微笑みながら、翼はうやうやしく挨拶をした。
「翼……あの、神官長の?」
「おや、知ってらっしゃる?まぁ、柚葉の知り合いならご存知でしょうね」
レイナの体が、焦りのような不思議な感覚に苛まれる。
「教会の中において、神父の下につく四人の神官長……無数にいるアコライトやプリースト達の中でも、わずか四人にしか与えられない最高の階級につく者の一人……」
教会という組織は、他の職業ギルドや私設ギルドなどとは異なり、ギルドマスターという存在がいない。その位置に立つ人物が神父であり、現在はマリウス神父がその任を果たしている。そして、そのギルドマスターの右腕として働く者をサブマスターや副マスターと呼ぶギルドが多いのだが、教会ではそれらの立場の役割をするものが、四人の神官長である。数え切れぬほどの人数によって構成されている教会という組織にあって、わずか四人にしか与えられることのないその階級に立つことのできる人物は、まさにこの国のアコライト、プリースト達の象徴のような存在である。
「……そして、教会の裏側の組織であるアンシャンデルを束ねる人物でもある男――翼」
「あはは、そこまでご存知なんですね」
「あんたのことは有名すぎるのよ」
陽気な笑みを浮かべる翼に、レイナは睨みつける。
「で、なんであんたがここにいるの?」
「雪乃ちゃんを、迎えに来たんですよ」
「ほぇ?」
それまで、翼とレイナとの話に入っていくことの出来なかった雪乃が、急に自分の名前を呼ばれてすっとんきょうな声を出した。
「今現在、教会にいる神官長の人数を知ってますか?」
「ぇ?」
そんな雪乃に向かって、翼が問いかける。
「四人……じゃないんですか?」
「違うんですよ。まぁ、詳しい人なら知ってるんですけどね……」
そう言いながら、翼は近くのイスに腰掛けた。それから、三本の指を立てて、
「現在神官長の人数は、雪音の死後三人しかいないんですよ」
「お姉ちゃん……?」
「そう、雪音は神官長の座についている若きプリーストでした。彼女の死後、それ以上の才能をもつと思われた柚葉をその座につかせる予定でした……が、それが叶わなくなってしまった。ですから、今現在の神官長は三人なのです」
雪乃の肩が、わずかに震えているのを翼は見逃さなかった。
「そして、我々教会の人間はあなたを探していたんですよ雪乃。四人目の神官長にするために……」
「……」
「雪音と同じ天癒の巫女の血を引く少女をね……ですが、こちらがどんなに探してもあなたを見つけることが出来なかった。そんな時に、柚葉から一報が届いたんです。あなたを教会へ連れて行ってほしいと……ね」
雪乃の瞳が、驚きで見開かれる。
「さらに言えば……柚葉は、あなたを神官長にすることを賛成している。それがあるべき姿だ……とね」
「それを……ゆずが言ったの?」
暗い表情になりながら、雪乃が口を開いた。
「えぇ、そうです」
「そう……」
雪乃の瞳から、一滴の涙が流れる。そして……
「ばか!」
一言だけ言ってから、雪乃は部屋を猛スピードで飛び出していった――