「ふふ……」

 小さな鏡を覗き込みながら、エルシェは微笑みを浮かべた。

 その姿に、傍らに控えていた涼葉が畏怖感を覚えながらも、尋ねた。

「マスター…?」

「ふふ……、ねぇ涼葉」

「はい?」

「全てが、自分の思い通りに進んでいくさまを見るのは……いいものね」

 口元にいやらしい笑みを浮かべながら、エルシェは虚空を見つめていた。

 

 

 

(あれだけ受けた傷が……すでに何もなかったかのようだ……)

 自分の体を見ながら、柚葉は心の中でつぶやいた。

(これが……姉さんの言ってた天癒の巫女の力……)

 周囲を見回し、すばやく現状を判断する。

 自分の腕には、満足に立つことも出来なくなってしまっている雪乃が寄りかかっている。これだけの力を使ったのだから、それは仕方がないことであろう。

 自分から少しはなれたところには、レイナとリュウヤが立っている。あちらも、多数の傷を受けていたはずだが、その痕がまったくわからないほどに回復している。

 また、その横には自分の気を失っている間に到着したと思われる飛鳥とシィーナ。そして、クラーク、ルビー、ヴァッツが立っていた。

 逆に前方では、自分の姿を維持できなくなり、黒い霧のような姿になりもがいているドッペルゲンガーの姿があった。

(自分の望んだものには癒しの力で……そして、悪しき物はその力を浴びるとああなるのか……)

 そのあまりのすごさに、柚葉は背中に冷たいものを感じていた。

(凄まじい力だな……)

 

「ギ……ギィィイイ!」

 ドッペルゲンガーが叫び声を上げながら、その形状を再び変えようとする。それに対し、柚葉たちはあえて攻撃を加えることをしなかった。

「貴様ら、絶対にコロス!」

 どす黒い影から現れたドッペルゲンガーは、紫色のローブを纏った女性の姿をしていた。

「……芸の少ない奴だな」

 その姿を見ながら、口元に皮肉じみた笑みを浮かべた柚葉が答える。

(もう……だめだよな)

 雪乃の顔を見つめ、覚悟を決める。

「ドッペルゲンガー……お前は、人を殺しすぎた」

 コツコツと規則正しい音を立てながら、飛鳥達の下へと向かう。

「みんな……」

 何を言っていいのか、言葉が見つからず、うつむく。

(俺の迷いが……皆を危機に陥れた……)

 罪悪感に苛まれながら、その瞳を上げる。そこには――

「何も言わなくていいぜ」

「そうそう」

「勝つんだろ?あいつにさ」

 笑顔で柚葉を見つめる仲間たちの姿があった……

「あぁ……」

 今にも、泣き出したかった。泣きながら、皆の胸に飛び込んでいきたかった。

「やろう、ヤツを……倒す!」

 それでも、なんとか振り返りその腕に杖を握りこむ。それに対し、ようやく自分で立てるようになった雪乃はその腕から離れた。

「私も……戦うんだから!」

 体をふらつかせながらも、小さな腕で杖を握り締める少女に、柚葉は微笑を浮かべた。

「あぁ……雪乃も一緒だ――」

 つぶやき、杖を前に出す。それを合図に、リュウヤとヴァッツがほぼ同時に宙を舞った。

 なんの相談も、打ち合わせもせずとも、今までの経験が皆を動かす。

「ハァ!」

「ハッ!」

 二つの剣が空を裂き、ドッペルゲンガーの胸元を切り裂く。

 赤というよりは、黒い鮮血が舞い上がり、ドッペルゲンガーの口から嗚咽が上がる。

 その瞬間、後方から白銀の光を放つ矢が飛んできた。あたかもそれがわかっていたかのように、その場にいたリュウヤとヴァッツは互いに左右へと飛んでいた。

 宙を舞う数十本の矢が、ドッペルゲンガーの体を貫く。奇声をあげながら、その体を乱暴に振り回すドッペルゲンガーの姿に、もはや余裕などまるでなかった。

「聖なる光よ、今、全ての闇を砕く十字を描け!グランドクロス!」

 ルビーの言葉と共に、その体を中心に白刃の光が放たれ、十字を描いた。

「グギィィイイ!」

 今にも消え入りそうな声でドッペルゲンガーが叫び声をあげる。

「ナゼだ!ナゼ貴様ら人間にコレほどまでの力がある!」

 その言葉に、口元に小さな笑みを浮かべる飛鳥が答える。

「人間だからこそさ!ユピテルサンダー!」

 杖をふり、その先から稲妻の刃を放つ。

「弱き!弱き種族ごときがぁぁあああ!」

 半狂乱になりながら、暴れまわるドッペルゲンガーに、クラークが飛び込む。

「弱いからこそ!俺達は共に歩く!一人じゃない……それが人間の力だ!」

 その手に握られた、銀色の光を放つソードメイスがドッペルゲンガーを吹き飛ばす。たまらず、前のめりになったソレに向かい、クラークはさらに強烈な蹴りを加えた。

「私達は一人じゃない!大切な仲間がいる!」

「そうだ、どんなときも手を差し伸べてくれる仲間が……そして、自分が手を差し伸べたいと思う仲間がな」

 リュウヤが、そしてレイナが、互いの目を見つめながら声を上げる。そして、その声が柚葉の胸に響き渡った。

「俺は……いつも死を望んできた……だが…今は違う。守りたいものが出来た」

 二度と戻ることは出来ない過去を思う。そこには、たしかに笑顔があった。そして、楽しい思い出があった。

 それを失ったとき、自分も消えてしまいたいと思った……

 だが――

「大切な仲間がいる、心から信用してくれる友がいる……ドッペルゲンガー、そのすばらしいものはお前なんかには負けたりはしない!」

 過去を振り切るように、再び立ち上がるために。柚葉は、その杖を硬く握り締めた。

「俺達は生きる!その先にある“何か”を手に入れるために!」

 柚葉の体がふわりと宙に舞う。そして、その姿を見つめる雪乃が、その口から小さな声で歌を口ずさみ始めた。

「………♪」

 雪乃の歌がその空間いっぱいに響き渡り、その声を聞く柚葉の瞳に小さな雫が輝いた。

「同じ……か」

 その歌は、昔雪音が口ずさんでいた曲だった。

「うぉぉおお!」

「ギィィイイ!」

 

 交差する二つの杖が交わる時、女性の姿をした者がその場に倒れた――

 

 倒れたドッペルゲンガーが、口元にどす黒い血液を保ちながら柚葉を睨みつけた。

「グギィイイ……」

「……」

「コレで……終わったわけではない!貴様が生きている限り……魔なる者たちは貴様を狙う!」

 悲痛な叫び声を上げるかのように、睨みつけるドッペルゲンガーが喋る。

「貴様が生きているかぎり……何人もの犠牲が出続ける!そして……そしていつか貴様の大事な者たちも砕け散るだろう!」

「……」

「そして!そしていつか貴様も死ぬ!そのときに思うだろう、今死んでいればよかったとな……!」

「そうかもしれないな……」

 ソレを黙って見つめていた柚葉が、小さく口を開いた……

「それでも俺は……今を生きていく、この世界で……」

 瞳を閉じると、自分に笑顔を向ける女性の顔が浮かんでくる。

「姉さんの愛した世界で……」

 ニコリと微笑む柚葉を中心に、大切な仲間たちが立った……

 まるで、これから先に待ち構えるであろう運命を、共に歩む意思を表すかのように……



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