「っち……」

 柚葉は、珍しく焦りを露わにしていた。それも無理はない、先ほどまでエリスの姿をしていたドッペルゲンガーが、今度は自分の姿で襲い掛かってきているのだから。

「ゆず、あせっちゃだめ!」

「分かってる……」

 焦りで顔を強張らせている柚葉に、レイナが口を出す。

「分かってはいるんだがな――」

 レイナの言葉に相槌を返しながらも、なお柚葉の頭には焦りと不安が満ちていた。

(奴は……奴だ!)

 繰り返し繰り返し頭の中で呟く。

(倒せば……いい!)

 キィィイインという甲高い音と共に、リュウヤとドッペルゲンガーの剣とが絡み合う。自分の身の丈ほどの長剣を、まるで自分の体のように操るリュウヤに対して、ドッペルゲンガーは間合いを詰めて迫っている。そうすることでリュウヤは剣を大振りすることが出来ず、逆に小回りのきく剣で対抗するドッペルゲンガーに翻弄され始めていた。

「く……っ!」

 なんとか得意の体勢に持っていきたいのだが、素早い動きで攻めるドッペルゲンガーの動きにどうしてもその姿勢を崩せないでいる。

「はっ!」

 ヒュンっという空を切る音と共に、リュウヤとドッペルゲンガーの間に数本の矢が刺さる。見ると、ドッペルゲンガーの周囲にいたナイトメアは完全に消滅しており、弓を構えたレイナが、次の矢を放とうとしていた。

「……サンキュ」

「お礼はあとでね」

 流れるような動きで矢を放ち、ドッペルゲンガーとリュウヤとの間に割ってはいる。

「チッ」

 その矢に、ドッペルゲンガーは舌打ちをしながらもその場から離れた。そうすることで、先ほどまでとは違い、リュウヤとドッペルゲンガーは多少なりとも距離をおいて向かい合う形となった。

「フッ――」

 そうなれば、今度はリュウヤが攻める番だった。長い剣で相手との距離をつくり、ドッペルゲンガーの剣を叩く。その力に押され、なす術もなく防戦一方になってゆくドッペルゲンガーの表情から、いつのまにか笑みは消えていた。

「クゥ……」

「このまま……消えろ!」

 リュウヤの猛攻に、体のバランスを崩したドッペルゲンガーがその場に膝をつく。その瞬間を逃さないように、リュウヤは剣を両手で握り締めてとどめの一撃となりうる一閃を放った。だが――

「あまいわっ!」

「くっ」

 ドッペルゲンガーの手から淡い光が放たれ、それがハンマーのような形になったかと思うと、リュウヤを中心にふりおろされた。

 その衝撃で、体をふらつかせてしまったリュウヤは、ドッペルゲンガーの攻撃を直に受けてしまった。

 その威力に、数メートルほど吹き飛ばされてしまったリュウヤは、落下の衝撃とあわして大きなダメージを受けてしまい、その場に倒れこんでしまった。

「リュウヤ!」

 その姿に、一瞬戸惑いながらも、柚葉は即座にヒールの呪文をリュウヤにかけた。

 暖かい光がリュウヤを照らし、傷が癒えていく。だが、完全に傷が癒えることはなく、何とか立ち上がったものの、リュウヤはその肩膝を地面についてしまった。

「くそ……」

 再び柚葉はリュウヤに向かってヒールの呪文をかける。それによって立ち上がる力を取り戻したリュウヤは、剣を両手に構える。

 それを見ながら、口元にいやらしい笑みをうかべたドッペルゲンガーは無言で手を上に掲げた。

「しぶといねぇ……」

「それはこっちのセリフだ――」

 杖を握る腕に汗がたまる。背中にも、冷たい水の感触がよぎった。

(くそ……)

 柚葉は、目の前にいるドッペルゲンガーを睨みつける。

「お前は……生かしておくわけにはいかない……」

杖を掴み唸ると、なにが可笑しいのか、ドッペルゲンガーは口が耳まで裂けたいやらしい笑みをその顔に浮かべた。

「なにがおかしい!」

 柚葉が怒鳴ると、

「お前ら人間は、常に自分を中心に考える。だが、魔の視点で考えてみるが良い。人間こそが忌むべき存在なのだよ」

 その言葉は、毒矢のように柚葉の胸に突き刺さる。

「柚葉、戯言に耳をかすんじゃねぇ!」

 リュウヤの言葉で、何とか自分を取り戻すが、自分の体に力が入らない。腕がカタカタと震えている。

「くそ……だが……だがお前は!」

「ククク……あの少女のことを言っているのかな?」

「……っ!」

 その言葉が、柚葉の胸をえぐる。自分のもっとも気にかけている部分をつかれ、柚葉は全身をわななかせた。

「お前は気づいていないのだろうな、柚葉」

「!?」

「オレはお前の名前を知っている。そして、お前の存在はこの世に散らばりし魔なる者達の多くが知っているのだよ」

「な……」

 まるで、目の前が真っ暗になったようだった。

「あの少女をあのような目に合わせたのはお前だ、柚葉。お前が我々を呼び覚まし、多くの死を振りまくのさ」

 手足に力が入らず、まったく動かない。自分を見つめ笑い続けるドッペルゲンガーを前に、柚葉はなす術もなく硬直してしまった、

「俺が……死を振りまく?」

 一瞬、体が吐き気を催し腕から杖が落ちた。体を支えることが出来なくなり、柚葉はその場に方膝をつくような形になってしまった。

「お前はここで死ぬ方がいいのさ、柚葉。そうすれば苦しまずにすむ!」

 そう言い放ったドッペルゲンガーが、その姿を光で包み込む。

 目がくらむような眩い光が収まった場所には、まるで青空のように鮮やかな青い髪とサファイアの瞳を持った女性の姿があった。

 

 

 

「うわぁぁあああ!」

 柚葉が、叫び声を上げその場にうずくまる。

「姉さん…いやだ、いやだぁぁあああ」

 目の前に立つ女性は、夢にまで見た姿をしていた……

「柚葉!なにをやっている、そいつはドッペルゲンガーだぞ!」

 そんな柚葉を見て、リュウヤが叫び声を上げる。だが、その言葉もすでに柚葉の耳には届いてはいなかった。

「クゥ……」

 柚葉の元に駆け寄ろうとリュウヤがその場に立ち上がろうとするが、先ほどの衝撃でまだ体が動かないでいた。それを横目で見やりながら、レイナが柚葉の元へと走った。

「ゆず?」

 柚葉に抱きつこうとする雪乃を片手で制し、柚葉を無理にも立ち上がらせようとする。

「ゆず!さっさと立て!」

 レイナの言葉が、次第に大きくなっていく。だが、柚葉の耳にはもはやレイナの声など届きはしない。

「ふふふ……ここで私が斬ってらくにしてあげるわ……」

 コツコツという規則正しい音を立てながら、雪音の姿をしたドッペルゲンガーが近づく。

 それに対し、レイナは両手に握り締めた弓から数本の矢を放つが、その全てを紙一重で避けられてしまった。

「そのこは死にたがってるんだよ、死なしてあげるべきなんだよ」

 口元に優しい笑みを浮かべながら、まるで聖者のように近づいてくる。その姿に、レイナは恐怖すら感じ始めていた。

「大丈夫……君達もすぐにその子のところに送ってあげるから」

 レイナもまた、体が言うことをきかなくなり、立ち上がることすら出来なくなってしまう。その時――

「させないもん!」

 柚葉のまえに、雪乃が立ちはだかった。

「ゆずは殺させない!絶対!」

 ドッペルゲンガーを睨みつけるように、雪乃が顔を上げる。

 その姿に、ドッペルゲンガーはケラケラと笑い出した。

「君が?何ができるって言うの?」

「……」

「なんにもできないじゃない。それとも、私に勝てるとでも言うの?」

 口元に手をあて、高らかに笑う。

「ほら……泣いたってだめだよ?」

「……」

「クスクス、やっぱりなんにもできないんじゃない」

 雪乃の瞳から大粒の涙が零れ落ち、その頬を伝う。

「……でも」

「ん?」

「でも、ゆずは絶対殺させたりしない!」

 涙で光る青色の瞳で、ドッペルゲンガーと向かい合う。

 まっすぐと見つめるその瞳に、ドッペルゲンガーは一瞬畏怖感を覚えてしまった。

「そうかい……それなら、君から殺してあげるよ!」

 そう言い放ってから、ドッペルゲンガーはその手にもった剣を雪乃に向かって振り下ろす。

「くっ!」

 ソレを見つめ、なんとかその体を持ち上げたリュウヤが雪乃に向かって走ろうとするも、間に合わない。

「雪乃ちゃん!」

 レイナもまた、体を起き上がらせようとするが、腰がぬけて動かない。

(ゆず――)

 目を固く閉じ、次に来るであろう衝撃に備える。

 

 だが、その痛みは雪乃に来ることはなかった……

「ぇ……」

 閉じられた瞳を開いた雪乃が見たものは、目の前に立ちはだかり、その胸をドッペルゲンガーの剣で貫かれた柚葉の姿だった。

「ゆ……ず……?」

 その言葉が届くこともなく、柚葉はその場に力なく倒れこむ。

 ドサッという鈍い音を立て、倒れた柚葉は、ピクリと一度痙攣してからその動きを止めた――

「ゆず……?ゆず!」

 柚葉の服を掴み、叫ぶ雪乃の声が、洞窟内に響いた。



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