……つめたい

 深い暗闇の中、柚葉はいつのまにか座り込んでいた。周囲を見渡すと、紫色にそまったその場所はまるで宮殿のようでもあった。蜘蛛の巣のはったベットには、ぬくもりはなく手入れをされた形跡のないタンスなどの家具は今にも壊れそうで、触れるとガシャリと音を立てた。

柚葉は奇妙な感触にとらわれた。ベットにふれると、物質にふれているのに妙な浮遊感を感じるだけで感触がない。まるで空気に触れているかのようだった。

ふと思い、辺りを見渡すと小さな明かりを部屋の奥にみつけ、そちらに向かってみる。そこには下の階へとつながる階段のようなものがあった。

おそるおそるその階段をおりる。下はさらによどんだ空気が部屋中を満たしており、ピリピリと体を突き刺すような不思議な感触が体中にはしる。

階段をおりきると、そこは非常に開けた空間になっていた。

「ここは――どこなんだ」

 部屋を見渡し、柚葉はポツリとつぶやく。その問いに答えは返ってこない……と思っていたのだが

「ここは死者の町……闇の中に潜む漆黒の楽園」

「……ぇ」

「ようこそニブルヘイムへ」

 自分の小さな呟きに返ってきた言葉に、柚葉はそちらを振り返る。そこにあった姿は、柚葉が誰よりも恋焦がれた女性の姿をしていた――

「一瞬誰かとも思ったけど……相変わらずきれいな顔してるね、ゆず」

「雪音……姉さん……」

 その姿に戸惑いと驚きの声を上げる柚葉に、雪音はニコリと微笑んだ。

 

 

 

 ここで再び舞台はアルデバランへと戻る。

 

 ぼろぼろと涙を流しながら柚葉の名を呼び続ける雪乃に、柚葉は反応を返す事をしない。ただただ虚ろな瞳でどこともわからない場所を見つめ続けている。いつしか、その場にへたれこんでしまった雪乃は、もはや立ち上がる気力すらも持ちえていなかった。不意に、そんな雪乃の後ろから声が聞こえてきた。

「少し下がってもらえるかい?」

「ほぇ……?」

 そこには、片方の瞳に眼鏡をはめた少年の姿があった。

「あなたは……さっきの」

「璃緒だよ。そこをどいて、ゆずにこれを飲ませるから」

 差し出された璃緒の腕には、緑色の葉がもたれていた。生命を失おうとしているものの傷を癒すといわれるイグドラシルの葉と呼ばれるものである。

「いまのゆずにはヒールじゃいけない。まずはこれで生命の確保が先決だ」

 そう言ってから璃緒は、さっさと柚葉の口元にイグドラシルの葉を含ませた。みるみるうちに葉は溶けすぐに消滅してしまった。かわりに、柚葉の顔色が先ほどに比べて多少良くなった。

「んで、お嬢ちゃんにはこれ。飲めよ」

「へぁ……?」

 次に雪乃に向かって差し出された物は、青色の液体の入った小瓶だった。

「青ポーションだよ。精神力きれてヒール唱えられないんじゃアコライトの意味ないだろ?それ飲んで少しでもゆずの傷癒すの手伝ってよ」

「ぇ……ぁ、はい」

 雪乃は青ポーションをうけとり、それを自分の口に含んだ。スーッと体がまるで重石が抜けたかのように軽くなる。

「我、汝が傷を癒さんヒール!」

 呪文と共に雪乃の腕から小さな光が放たれる。弱々しい光だが、柚葉の傷が少しずつ癒えていく。

「青ポーションけっこうあるから……適当にのんで使って。僕のほうはゆずに白ポーション飲ませるからさ」

「ぁ……はい」

 璃緒に言われたとおり、雪乃は青ポーションを飲みながら柚葉へのヒールを続けた。

「えっと……」

「ん?」

「なんで……あなたがゆずを助けようとするんですか?」

 それは小さな疑問だった。さきほどまで柚葉を襲っていたクラークという男達は、この璃緒という少年がつれてきたのだ。つまりは、さきほどのクラーク達とこの少年は仲間のはずなのである。それなのに、この少年は柚葉の傷を癒そうとしている。雪乃にとってその事実はとても不可思議に思えた。

「こいつは……僕の唯一の友人だから」

「ぇ……?」

 質問に対してかえってきた言葉は、雪乃が思ってもみなかった回答だった。

「僕はね……何でも屋なんだ……」

「?」

 少しの間黙ってから璃緒は小さく呟いた。

「僕は、父も母もアルケミストでね。二人とも多くの功績をたて国王陛下に認められたほどの凄腕だった。けど……僕はアルケミストになっても何もできない人間でね。

もともと、商人のうちからあまり器用な方じゃなくてね。どちらかというと剣をつかった戦闘の方が得意だった。だけど……だけど僕は所詮は商人。剣をふったところで剣士や騎士にかなうはずがなかった……

ルビーと手合わせをしてみたところで一本をとることすら出来ず……僕には何もできないんだってことを実感させられたよ」

「……」

「けどさ……そんな僕でも商人であり、アルケミストなんだよ……何かをしてお金を稼がなくちゃいけない職業なんだよ……」

 そういった璃緒の瞳から、小さな涙が零れ落ちた。

「それで……始めた職業がこれだった。お金さえもらえればなんだってする何でも屋……

そのためには友人であるこいつを危険な目に会わせる事すらもいとわない……そんな職業さ」

「……」

「そんなことより……君はゆずをどうして助けようとするんだい?」

 そういって璃緒は、今度は雪乃のことをまっすぐに見つめた。

「……私?」

「そう。君は見たところ支援をするためのアコライトじゃないだろ?それに柚葉を恨んでもいた……なんで今助けようとしたの?」

「……」

 璃緒の疑問に、雪乃は言葉を詰まらせた。もともと柚葉を殺すために旅に出て、その柚葉と出会い共に旅をする事になった。それは自分で望んでいた事ではなく、まったく思ってもみなかった展開。けど、それでも自分は柚葉といることが楽しかった――

「……私は、お姉ちゃんに憧れてた」

「ん?」

「お姉ちゃんみたくなりたかった……」

 雪乃の言葉は、まるで子供のようにか細く、弱々しかった。

「けど……けど私……私プリーストなりたくない……お姉ちゃんが私になるなって言ってた……なったらお姉ちゃんの存在がみんなから消えちゃいそうで怖いよぉ……」

 雪乃の瞳からボロボロと涙が流れ落ち、さらにはその声は嗚咽へとかわっていく。自分の中にある血の宿命。それはあまりにも強く、そしてきつく雪乃を縛り付けている……

雪乃の涙がその頬を伝い足元へと落ちたそのとき――

「雪乃……君は君のやりたい事をすればいい。雪音姉さんも……きっとそれを望んでる」

「ほぇ……」

 不意にかけられた言葉に、雪乃は驚きに満ちた表情で顔を上げた。そこには苦しみながらも、微笑みを浮かべ雪乃を見つめる柚葉の姿があった――



Previous/Next
Back