ガキィインという鈍い音が周囲に響き渡り、雪乃の手に握られていたナイフが宙を舞った。

「何やってんだよ……お前ら」

「飛鳥――?」

 雪乃の腕に握られていたナイフを、柚葉の胸につきたてられるすんでのところで飛鳥がそれをとめた。

 あと一歩で刺す事の出来たのを飛鳥に止められた雪乃は、真剣な顔つきで飛鳥を睨みつけた。

「なによっ!邪魔するつもりですか!邪魔をするなら……私はあなただって殺すからっ!」

 雪乃は、興奮しきった顔で飛鳥に向かって叫ぶ。それを一瞬冷たい瞳で睨みつけた後に、

「……君じゃオレは殺せないよ。そのナイフでオレを刺そうとすれば……その前に君を気絶させたり、殺したりだってできる」

 冷ややかに答え、「下がっていなさい」と一言言ってから柚葉に向かい合った。

「ゆず……お前さ――」

 ドコッという大きな音を立てて、飛鳥は柚葉を思いっきり殴りつけた。「グフッ」というかえるがつぶれたような上げながら柚葉は地面に叩きつけられた。

「お前……ふざけるんじゃねぇぞ――?」

 飛鳥は、今まで見せたこともないほどの怒りを露わにしながら柚葉を睨みつけた。

「なにが君の心が満たされるんだろだよ……満足してぇのはお前の方だろうが!」

 柚葉のむなぐらを掴んで叫ぶ飛鳥の言葉に、雪乃は驚きの満ちた表情になる。

「自分の死にたい理由に――人を勝手に使おうとしてんじゃねぇよ」

 怒りの表情を変えることなく叫び続ける飛鳥の言葉に、柚葉は何も言い返すことができないでいた。ただただ下を向き、飛鳥の言葉を受け止めるしか出来なかった。

「――もう、オレは二度とこんなこと言いたくねぇぞ?」

 飛鳥は、今にも泣き出しそうな顔で、今にも消え入りそうな声で柚葉につぶやいた。

「……」

「なんとか返事くらいしろよ……」

「なんだその言い方は……俺がガキみたいじゃないか――」

「なにが違うんだよ……今のお前は聖職者でも大人でもないね、たんなるガキそのもだぜ」

 いつの間にか飛鳥の顔は普段どおりの表情に戻っていた。そして柚葉のほうも、少しずつ表情を穏やかにしていった……

 それから飛鳥は、雪乃の方に振り返りまっすぐとその瞳を直視した。

「雪乃ちゃん――だっけ?」

「ちゃん付けで呼ばないで……私はそんなに幼い子供じゃない」

「あら……それはすまないね、んじゃ雪乃。そのナイフでゆずを狙うのはやめてもらいたいんだけどな?」

「……」

「じゃなきゃさ……今度はオレが君を憎んで殺そうと思わないといけなくなってしまうんだ――」

 寂しそうな表情で、泣いてる子供をあやすような口調で雪乃に問いかけるように飛鳥は話す。それに対し、雪乃の方は下を向いて黙り込んでしまう事しか出来なかった――

「人が命を落とす……殺されるって言うのはそういうことだと思うんだ――」

「ぇ……?」

「雪乃は、お姉さんを殺された事でゆずのことを憎んだ……。それも、ゆずの責任ではないと心のどこかでは分かっていたとしてもね……。そういう風に自分以外の誰かを悪にする事で、自分自身の悲しみや苦しみを紛らわそうとするんだよね……」

 飛鳥は、どこともしれない場所を見つめながら呟く。今にも泣き出してしまいそうな……寂しそうな声で――

「誰かを憎み、それによってその誰かの命を奪う……。そして今度はその誰かを大切に思っていた人間に憎まれ、いつしか自分の命を奪われる……。所詮はその繰り返しでしかないんだよ――」

「……」

 雪乃の瞳から、大粒の涙がポツリと落ちた……

「君の今流した涙はいつかきっと微笑みに変わると思う……。たしかに憎しみを捨てろなんて言えるわけないし、そんなにオレ自身できた人間なんかじゃない――。けど知って欲しいんだ、憎しみだけじゃない考え方だってあるんだってことを……」

「ふ…ふえぇ……」

 雪乃の瞳から零れ落ちる涙が、いつしか絵に描いたような量になっていく……

「ねぇ雪乃?オレ達二人と一緒に行かないか?」

「ほぇ……?」

 突然の飛鳥の申し出に、雪乃はただただ呆然と聞き返すことしか出来なかった。

「いますぐにゆずのことを理解して許せなんて言えない。だからさ、一緒に旅をするなかで、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の手で触れて……そうやって理解をしていって欲しいと思うんだ。オレの口から君にゆずを語ったって、それはゆずの味方の意見だって思われちゃうだろう?だから……君自身でそれを確かめていって欲しいんだ」

 小さな微笑を浮かべながら、飛鳥は雪乃に向かってその手を差し出した。

「私……私行くよ……一緒に」

「うん……歓迎するよ」

 震える手でおずおずと……それでもしっかりと飛鳥の手を雪乃は握り締めた……

「それじゃぁ行こうぜ、目指すはアルデバランだ」




 暗い闇が辺りを包む森の中。一本の木の上から、三人の姿を見る一人の少年がいた。片目には小さなメガネをつけている。先日、モロクの外れにおいてクラークやルビーと話をしていたその少年だ。

 少年――璃緒は、事の一部始終を見終えた後に

「巫女様の妹さんは、巫女の愛した男と、その男を守るものの元へ……か」

 その口元に小さな微笑をうかべてながらつぶやいた。

「ふふ――おもしろくなりそうじゃないか。なぁ、ゆず?」



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