St Valentin ~Ro−Novel特別編~
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首都プロンテラに淡い雪が舞い、冷たい風に乗って甘い匂いが町中に広がる。普段町中にあふれる露天商も、人数が少なく、代わりに多くの男女カップルが手を取り合ってあるいている。町に出ている数少ない露天商は、皆カカオやチョコレートを置いており、それらを買い求める女性はその表情に恥ずかしさを見せながらも、満面の笑みでそれらを購入している。
今日はバレンタイン。多くの女性が、その愛しい者へチョコレートをプレゼントする日である。ある者はカカオから自分で作った手作りの物を、またある者は完成品を購入して。それぞれの相手に自分の気持ちと共に差し出す。
そんな穏やかな一日に、一人の男性がプロンテラ大聖堂の中に入っていった。暗い闇を映すような漆黒の髪と瞳。それとは対照的に透き通るような白い肌。大きめのマントを羽織り、まっすぐと前を見据える瞳には迷いがない。男性……飛鳥は、「寒いな」と一言呟いてから、大聖堂の門を潜った。
中に入ると、そこにはたくさんの子供達に囲まれた一人の男性の姿が眼に入った。
「シャルティア」
「ん?あぁ、飛鳥か」
シャルティアと呼ばれた男性は、飛鳥の方を振り返ると、周囲にいた子供立ちに「ごめんね」と呟いてから飛鳥の元へと歩み寄ってきた。その表情には、ちいさな微笑が浮かんでいる。
「ごめんな、いきなり呼び出したりして」
「いや、オレはいいんだけど。なんでいきなりこんな日に?」
今回の飛鳥の訪問は、シャルティアからの招待だった。もともと、師匠であるシウスを探し一人放浪の旅を続けている飛鳥にとって、この教会はくるような場所ではない。とは言ったものの、ほかの人に呼ばれたのなら話は別である。飛鳥はその理由に多少の疑問を覚えつつも、シャルティアからの呼び出しという事もありここに来た。
「いやさ……ちょっとどうしても今日呼ばなきゃいけなくてね、今日は何の日か分かってるでしょう?」
「あぁ、分かってはいるが――男に呼び出される意味はわからないが?」
「あはははは。いやいや、僕個人の理由で呼び出したわけじゃないからね」
間の抜けた返答をする飛鳥に、シャルティアは満面の笑みを浮かべながら飛鳥の肩をたたいた。それにたいし、多少なりとも機嫌を悪くしたといった表情で、飛鳥はシャルティアを見つめ返す。そんなやり取りをしていると、奥の部屋から一人の少女が姿をあらわした。
「ぁ、その、えっと……」
「あぁ、きたねエトナ」
「ん?」
エトナと呼ばれたその少女は、飛鳥を見ると一気に顔を真っ赤にしてうつむいた。その少女に、飛鳥は不思議な表情をしながらその姿を見つめた。
「その子は?」
「この子はエトナ、つい数週間前からこちらにすんでいるアコライトの少女です」
「あの……その、よろしくおねがいします」
紹介をされたエトナは、はにかみながらも行儀よく挨拶し、頭をさげた。それに対し飛鳥の方はもう何がなんだかといった怪訝な顔をしている。その様子を見ながら、シャルティアの方は多少呆れかけた表情でその二人を見つめている。「本当に鈍感な男ですね……」飛鳥に向かって零れそうなその言葉を、必死にギリギリのところで止める。
「……とりあえず、入口で固まっていてもいけないので僕の自室に行きませんか?」
まったく動きのないその現状に、たまらずシャルティアは声を漏らした。
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「それで……シャルティア」
「はい?」
「この子が、オレを呼んだ理由なのか?」
シャルティアの自室に入った飛鳥は、シャルティアに対して口を開いた。その問いに対して、シャルティアの方は短く「そうだよ」と一言だけ返してから頷いた。それに対し、飛鳥の方はさらに不思議な気分になった。それからエトナの方を振り返る。すると、飛鳥と目が合ったエトナの方はまた顔を赤らめうつむいてしまった。
正直飛鳥は不思議で仕方がなかった。呼び出された理由がこの少女だとシャルティアは言っているが、自分はこの少女と面識がなかった。そのため、バレンタインだからとはいえ女の子に呼び出される理由がわからないのだ。
教会に住むアコライトだからという理由で、だれかれかまわずチョコレートを配ったりするわけではない。たしかに教会で働くシスターなどは、町の子供達に配ったりする事もあるが、それもその日に自分たちと会った数名の子供達に限られる。わざわざ旅をしている相手を呼び出して渡すなどという事はまずないだろう。
「……えっと、まぁ、飛鳥の言いたいことは良く分かります。面識のない相手にいきなりこんな日に呼ばれて理由が分かったりしたら逆にそれこそ自惚れが強い男としか思えませんからね」
「シャルティア……その言い方は多少ひっかかるのだが?」
「まぁ、このさいそういうことは流して話を先に進めましょう」
なんなんだよとでも言いたげな飛鳥に、問答無用でシャルティアは会話を進める。
「とは言っても、実は君とエトナは初対面ではないのですよ」
「ぇ……?」
「そうですよね?エトナ」
突然自分に話題を振られ、エトナの方はビクリとなってしまう。驚きと恥ずかしさからか、エトナは顔をさらに赤らめながらコクコクと頭を縦に振った。
「はい、その……飛鳥さんは覚えてらっしゃらないかもしれませんが……」
「はぁ……そうなんですか」
とぎれとぎれに話しながらも、自分に対して敬語を使う相手の喋り方に飛鳥の方の口調もカタコトの敬語まじりになっていく。歯切れの悪い会話ながらも、ようやく二人が会話をし始めたのを見てシャルティアの方はほっとしたような表情になった。
「えっと……いつお会いしましたか?」
なんとも似つかわしくない喋り方で飛鳥はエトナに問い返す。
「ぁ……はい、その……私がまだノービスだったころに……」
「ふむ……ノービス……」
エトナの言葉に、飛鳥はふと考え込んでしまう。ノービスと言われただけでは、思い当たる節がありすぎるのだ。決して飛鳥がナンパを繰り返しているというわけではなく、もともと人助けが好きだった飛鳥は、師匠を探すたびの途中何度もノービスの少年や少女の手助けをしたことがあった。
「その……それで、転職したときに……シャルティアさんにその事をお話しすると……あなたのお名前が飛鳥ということをしり、どうしてももう一度会ってお礼が言いたくて……」
「ふむ……」
「あの時……お名前をおっしゃらずにあなたは行かれてしまったので……」
飛鳥はもともと自分から名前を名乗る事をしない。近しい間柄や、その相手の知り合いなどならともかく、自分から初対面の相手に名前を名乗る事はまずなかった。また、ノービスへの手助けをしたとしても、それで相手に名前を教えて覚えてもらおうなどということはまずしない性格なのだ。
「あ―…ごめんね、やっぱりわかんないや。オレが何をした相手だろう?」
「あ……その、シャルティアさんもそうおっしゃってて……アイツは普段から人のいい奴だからいいことしてもすぐ忘れちゃうから……って」
「うん、そうなんだ。ごめんね」
「いえ、その……それが悪いとかじゃなく」
エトナは、今にも泣き出しそうな表情になる。その表情に、飛鳥の方があわて始めた。
「いや……えっと、その……なんだ。とりあえず泣かないで」
「はい……」
「その……ごめんね。とりあえず、オレが何をしたかだけでも教えてもらいたいんだけど、いいかな?」
子供をあやすような声で、飛鳥はやさしく問いかけた。その様子にシャルティアは「ほー」と小さく感嘆の声を上げた。いかにも「なれてるな」と言いたげな表情である。
そんなシャルティアに向かって、飛鳥は一瞬睨みつけてからもう一度エトナの方を向きなおした。
「えっと……ノービス時代にゴーストリングに襲われていたときに助けていただいた事がありまして。」
「ふむ……」
「それでそのとき……いろいろとお世話になったので」
ノービス時代に、プロテンラからさほど遠くないフィールドで、通称ポリン島と呼ばれている場所でレベル上げをする物は多い。そんなノービスの天敵として、一定の時間毎にフィールドに現れる三種類のモンスターが存在する。それらは、そのフィールドに存在する他のモンスターに比べてはるかに強く、ある程度の実力と経験のない冒険者でなければ、一瞬で倒されてしまうほどだ。そんなモンスターが、そのフィールドでがんばっているノービス達を襲うことは多く、その度にそのノービス達はその場に倒されてしまうのだ。
「そっか……」
「はい、それで……その、コレを見れば思い出していただけないでしょうか」
そう言ってエトナは、自分の服の胸元をはだけはじめた。突然の行為に、飛鳥の方は一瞬戸惑いながらも、エトナが指差す場所を覗き込んだ。
「コレは……」
「思い出していただけましたか?」
そこには、紫色に染まった痣のような紋様が浮かび上がっていた。それは、飛鳥の左腕に走る呪いの紋様とよく似た形をしている。そしてそれは、飛鳥には確かに見覚えがあった。いや、忘れる事など出来なかった――
「そうか……君はあの時の――」
「はい……あのときのノービスです」
「そうか……アコライトになったのか――誰かを守るための職に……」
「あなたのように……誰かを守れるようになりたくて」
今にも流れ出そうな涙を必死にこらえていると言った表情で、エトナは微笑む。その微笑に飛鳥の方もまた胸の中が詰まるような感じがした。
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それは、飛鳥が師匠を探すたびに出てから数ヶ月がたった頃だった。旅立ったものの、何の手がかりもないまま放浪の旅を続けていたのでは何年旅をしたところで師匠を見つけれるはずがなかった。そのため、ほんの小さな情報でもと思いプロンテラへ向かっている途中、ポリン島の中で一人のノービスの少女がゴーストリングが召喚した巨大ウィスパーの群れに追いかけられているのが目に入った。そのまま黙って見ている事も出来ず、飛鳥はすぐにそれを助けに入った。
すぐに詠唱を開始し、ファイアーウォールを出そうとするも、右手が痛むだけで発動しない。呪いによって封じられている火の力無しで戦うには多少厳しい相手だったが、なんとかその場しのぎで放ったストームガストによって相手をその場から遠ざけることに成功した。
だが、続いて飛鳥を襲ったのは腕の痛みだった。それまではなかったが、火の力を使おうとしたことへのリバウンドからか、飛鳥の腕を刃物で刺すような痛みが襲う。こらえきれず飛鳥は、その場に伏せってしまった。
その姿に、先ほどのノービスが自分のかばんの中から赤ポーションを差し出した。「私には……これしか買えなくて」と、今にも消え入りそうなか細い声で言いながら、さらに数本の赤ポーションを差し出す。
それを受け取った飛鳥は、痛む腕を庇いながらもそのポーションに口をつけた。自然とその腕の痛みも和らいでいくような気がした……
それから飛鳥は、少女にさまざまな事を教え、また少女の事も聞いた。その中に、少女の胸元にある痣のこともあった。ずっと昔に自分の父親からつけられた呪い。それによってこの少女は、自分と同じく何らかの封印と、自分を襲う激痛を背負って生活をしていることを知った。
それから、約二週間の間その少女と共にその辺りを旅した。少女は自分の父親によって呪いをかけられてしまったことからか、なかなか飛鳥に心を開くことをしなかった。だが、時折見せる微笑みが飛鳥にはたまらず愛しく思えた。
その旅の途中、飛鳥は様々な事を少女に与えた。それは暖かさや、やさしさ、そして戦闘のノウハウや守るべき力。それらは父に、そしてそれをとめたり自分を救おうとしてくれなかった母に望む事の出来なかった少女の心から欲しかった物だった。少し、また少し少女は飛鳥に心を開き始めた。
そんな折、飛鳥の耳に師匠の動向を探る有力な情報が耳に入った。それをたしかめるため、飛鳥はすぐにモロクへと向かわなければいけないことになり、そこで少女と別れる事となった。
飛鳥は少女にいつかまた会おうと一言言い残し、名前はその時に必ず交換しようと約束をしてからモロクへと旅立った。
その時の少女が、今飛鳥の目の前にいる。アコライトとなって……
「そうか……大きくなったんだな。ごめんな、わかってやれなくて――」
「いえ……その……ありがとう、覚えてくれてて――」
「忘れるわけねぇじゃん」
そう言って飛鳥は、エトナの頭をそっとやさしくなでた。それに対してエトナは、嬉しそうな表情で微笑を浮かべている。あの頃感じていた壁は、まだ多少は感じるもののたしかに薄まっている。
「それで……そのぉ……」
「ん?」
再び顔を赤らめ、もじもじとエトナはしはじめた。その表情に、飛鳥の方は不安になる。
「……カカオ……一生懸命集めたんです」
「うん」
「それで……一生懸命チョコ作ったんです……形は…うまくできなくって……けど」
「うん」
エトナは、自分の小さなかばんの中からチョコレートを取り出して飛鳥に差し出した。飛鳥は、そのチョコレートを一瞬戸惑いながらも受け取り、そのまま少女を抱き寄せた。
「ありがとう」
「……はい」
できる限りやさしく抱きしめる。エトナもまた、はにかみながらも飛鳥の背中にその腕を回した。やさしくそれを見つめるシャルティアは、心の中で「よかったですね」と呟いてから、これ以上この場にいるのはいけないような気がして静かにその場をあとにした。
この世界の恋する者達に大きな幸せがあらんことを♪